立花致業
大日本帝国陸軍軍人
立花 致業(たちばな ちごう、? - 1948年)は大日本帝国陸軍軍人。戦犯として中国で処刑される予定だったが死亡した。
立花 致業 | |
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生誕 | 東京府 |
死没 |
1948年 間島 |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | ? - 1931年 |
生涯
編集陸軍士官学校卒業。任官以来、朝鮮の抗日パルチザン掃討に先立ち大きな信任を受けるようになった。 満洲国に派遣され、1932年に朝鮮総督府が創立した親日朝鮮人団体民生団でも活動した[1]。この時から偽名「陳致業」を使った。
特に民生団事件は満洲一帯の朝鮮独立運動に大きな打撃を与えた。第二次世界大戦には、地域巡回講演も引き受けて徴兵を朝鮮国民に勧めた。
注釈
編集参考文献
編集- 河合和男、水野直樹、飛田雄一、宮嶋博史 共著『論集 朝鮮近現代史』(明石書店、1996年)ISBN 4750308765 ISBN 978-4750308760
- “한국사데이터베이스” [韓国史データベース] (韓国語). 延琿和汪地方 自治促進會 創立大會가. 国史編纂委員会. 2016年7月18日閲覧。
関連項目
編集- 抗日パルチザン - 民生団についての記述がある。