第二十二号型水雷艇

日本の二等水雷艇の艦級
第二十二号型水雷艇
第46号水雷艇
艦級概観
艦種 水雷艇
艦名 番号
前級 第二十一号型水雷艇
次級 第二十九号型水雷艇
要目(竣工時)
排水量 常備:85トン
(31号以下は83トン)
全長 垂線間長:39.00m (127ft 11in)[1]
全幅 4.81m (15ft 9in)[1]
吃水 1.07m (3ft 5in)[1]
機関 汽車1基
(31号以下はソーニクロフト缶2基)
直立式3気筒3段膨張レシプロ1基
1軸、1,200馬力(計画)、926馬力(公試)[2]
速力 24ノット(計画)、18.84ノット(公試)
(31号以下は約24ノット)[3]
航続距離 10ノットで1,000海里[4]
燃料 石炭:約17トン[5](満載)
乗員
兵装
1894年
47mm保式単装軽速射砲2基
36cm[6]魚雷発射管
旋回式2門、固定式1門
同型艦 19隻

第二十二号型水雷艇(だいにじゅうにごうがたすいらいてい、旧字体:第二十二號型水雷艇)は、日本海軍の二等水雷艇。同型艇19隻。これは日本海軍水雷艇では最大の隻数。

概要 編集

1889年(明治22年)度の計画によりドイツシーシャウ社英語版に2隻が発注され、1891年(明治24年)度に図面により1隻が国内で建造された。第31号以降の16隻は日清戦争後の1896年(明治29年)度にシーシャウ社に発注、ボイラーがソーニクロフト式水管缶となり機関の信頼性が増した。本型は建造所の名前から「シーシャウ型」と呼ばれる。

戦歴は第23号は第1水雷艇隊として日清戦争に参加、第22号は1895年(明治28年)2月5日未明の威海衛作戦に第3艇隊の司令艇として攻撃の第1陣に参加した。第1陣は奇襲の形となり魚雷発射に成功、他の艇と共同で「定遠」に魚雷を命中させ「定遠」は沈没を防ぐため擱座した。第22号はその帰途に座礁し夜明け頃に船体は放棄された。乗員は陸上に避難した。

日露戦争にも第22,23号を除く各艇が参加し第48号が戦没、日本海海戦に参加した艇のうち、第34号、第35号の2隻が失われた。

残る各艇は大正初めに除籍された。

同型艦 編集

竣工日の後は(建造所/組立所)。シーシャウ=ドイツ・シーシャウ社。小野浜=小野浜造船所1893年 (明治26年) より呉鎮守府造船支部(=呉造船支部)と改称。呉=呉造船廠、横須賀=横須賀造船廠、佐世保=佐世保造船廠、長崎=三菱長崎造船所、川崎=神戸川崎造船所

  • 第22号 : 1893年(明治26年)8月5日竣工(シーシャウ/小野浜)。1895年(明治28年)2月5日戦没。
  • 第23号 : 1893年(明治26年)8月5日竣工(シーシャウ/小野浜)。1898年(明治31年)7月20日沈没。
  • 第25号 : 1895年(明治28年)2月28日竣工(呉造船支部)。1913年(大正2年)4月1日除籍。
  • 第31号 : 1900年(明治33年)1月22日竣工(シーシャウ/佐世保)。1913年(大正2年)4月1日除籍。母港:佐世保(最終時)、6月12日売却訓令、11月1日4,200円で売却報告[7]
  • 第32号 : 1900年(明治33年)3月7日竣工(シーシャウ/佐世保)。1913年(大正2年)4月1日除籍。母港:佐世保(最終時)、6月12日売却訓令、11月1日4,200円で売却報告[7]
  • 第33号 : 1900年(明治33年)2月14日竣工(シーシャウ/佐世保)。1914年(大正3年)11月10日沈没。
  • 第34号 : 1900年(明治33年)3月7日竣工(シーシャウ/佐世保)。1905年(明治38年)5月27日戦没。
  • 第35号 : 1900年(明治33年)3月22日竣工(シーシャウ/川崎)。1905年(明治38年)5月27日戦没。
  • 第36号 : 1900年(明治33年)4月9日竣工(シーシャウ/川崎)。1913年(大正2年)4月1日除籍。母港:佐世保(最終時)、6月12日売却訓令、11月1日4,200円で売却報告[7]
  • 第37号 : 1900年(明治33年)3月23日竣工(シーシャウ/長崎)。1913年(大正2年)4月1日除籍。母港:佐世保(最終時)、6月12日売却訓令、11月1日4,200円で売却報告[7]
  • 第38号 : 1900年(明治33年)3月23日竣工(シーシャウ/長崎)。1913年(大正2年)4月1日除籍。母港:佐世保(最終時)、6月12日売却訓令、11月1日4,200円で売却報告[7]
  • 第44号 : 1900年(明治33年)8月17日竣工(シーシャウ/横須賀)。1913年(大正2年)4月1日除籍。
  • 第45号 : 1900年(明治33年)8月21日竣工(シーシャウ/横須賀)。1913年(大正2年)4月1日除籍。
  • 第46号 : 1900年(明治33年)8月21日竣工(シーシャウ/横須賀)。1913年(大正2年)4月1日除籍。
  • 第47号 : 1900年(明治33年)10月1日竣工(シーシャウ/佐世保)。1912年(大正1年)10月11日除籍。
  • 第48号 : 1900年(明治33年)10月14日竣工(シーシャウ/佐世保)。1904年(明治37年)5月12日戦没。
  • 第49号 : 1900年(明治33年)11月2日竣工(シーシャウ/佐世保)。1914年(大正3年)4月1日除籍。
  • 第60号 : 1901年(明治34年)10月20日竣工(シーシャウ/呉)。1915年(大正4年)4月1日除籍。
  • 第61号 : 1901年(明治34年)12月16日竣工(シーシャウ/川崎)。1915年(大正4年)4月1日除籍。

脚注 編集

  1. ^ a b c 数値(メートル)は『世界の艦船 増刊第47集』による。フィートインチの数値は『日本駆逐艦物語』による。メートルに換算するとそれぞれ垂線間長38.98900m、最大幅4.8006m、吃水1.0414m。
  2. ^ 『日本駆逐艦物語』によると1,200馬力。
  3. ^ 『日本駆逐艦物語』によると22,23,25号が18ノット、31号以降は24ノット。
  4. ^ 『日本駆逐艦物語』による。
  5. ^ 『日本駆逐艦物語』によると17.5トン。
  6. ^ 『日本駆逐艦物語』による。『世界の艦船 増刊第47集』では口径38cmとなっている。
  7. ^ a b c d e #T2公文備考22/亡失、売却及撤去、処分(3)画像49-50、大正2年11月1日佐鎮第17号の91。

参考文献 編集