簡献蕭皇后(かんけんしょうこうごう、生没年不詳)は、遼(契丹)の玄祖耶律勻徳実の妻。遼の太祖耶律阿保機の祖母にあたる。小字は月里朶。
耶律勻徳実にとついで4人の子を生んだ。耶律勻徳実が耶律狠徳に殺害されると、4子を隣家の耶律台押に預けて、庇護を受けさせた。耶律阿保機が生まれると、彼女は孫の骨相が普通でないと考え、殺害されるのをおそれて、別帳で養育させた。重熙21年(1052年)、簡献皇后と追尊された。