米内 こま(よない こま[1]1888年明治21年)3月[2] - 1941年昭和16年)1月19日[3])は、日本の第37内閣総理大臣である米内光政の妻(内閣総理大臣夫人)。東京都出身。

よない こま

米内 こま
生誕 大隈コマ
1888年3月
日本の旗 日本 東京市
死没 1941年1月19日
日本の旗 日本 東京市麹町区
死因 胆嚢炎
配偶者 米内光政(夫)
大隈金太郞(父)
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経歴 編集

1888年明治21年)、大隈金太郞の長女として生まれる。東京青山で生まれ育った。1906年明治39年)に米内光政と結婚、翌年の1907年(明治40年)に入籍[4]

1941年昭和16年)1月19日、東京市麹町区三年町(現・東京都千代田区)の自宅で胆石症により病臥中、胆嚢炎を併発して死去[3]

脚注 編集

  1. ^ 米内コマとも表記される。
  2. ^ 『人事興信録 第12版 下』(人事興信所、1940年)ヨ77頁
  3. ^ a b 朝日新聞 1941年1月21日、2面
  4. ^ 『「家系図」と「お屋敷」で読み解く歴代総理大臣 昭和・平成篇』竹内正浩、実業之日本社, 2017, 「第二章 米内光政」の項
先代
阿部ミツ
内閣総理大臣夫人
1940年1月16日 - 1940年7月22日
次代
近衛千代子