紀元前192年
年
紀元前192年(きげんぜん192ねん)は、ローマ暦の年である。
世紀 | 前3世紀 - 前2世紀 - 前1世紀 |
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十年紀 |
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年 |
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他の紀年法編集
できごと編集
共和政ローマ編集
ギリシア編集
- ナビス戦争
- スパルタの僭主ナビスは失った領土を取り戻すためにローマに支援を求める使節を送り、それへの返答として元老院 (ローマ)はプラエトルのアティリウスを海軍とともに送り、またティトゥス・クィンクティウス・フラミニヌスを長とする使節団を派遣した。
- ローマ軍が到着するのを待たずにフィロポイメーンの指揮するアカイア同盟の陸海軍はギュティオンに侵攻した。アカイア同盟軍はスパルタ軍に敗北し、フィロポイメンはTegeaに撤退した。
- フィロポイメーンが2度目にラコニアに入ると、彼の軍はスパルタの奇襲を受けた。しかしフィロポイメーンはなんとか勝利を収めた。
- フィロポイメーンのスパルタ占領計画は、ローマの大使フラミニウスの要請によって保留された。その見返りとして、ナビスは現状を維持することを決断した。
- ナビスはアイトリア同盟に助けを求め、アイトリア同盟は1000の騎馬隊をスパルタに派遣した。
- ナビスがアイトリアの将軍に暗殺され、スパルタはアイトリアに一時占拠され、宮殿を強奪され、市街も略奪された。しかし、スパルタ市民は反撃し、アイトリア軍を街から追い出した
- フィロポイメーンはアイトリアの謀反を活かし、アカイア同盟軍とともにスパルタに侵入した。スパルタの支配権を得ると、フィロポイメーンはスパルタをアカイア同盟に加盟させた。
- アンティオコス3世に率いられたセレウコス朝の軍は、ローマに反抗したアイトリア同盟の導きでギリシアに侵攻した。アエトリア同盟はアンティオコスを指揮官に指名した。アンティオコスはわずか10500人を率いてテッサリアに上陸し、エウボイア島を占拠した。
誕生編集
「Category:紀元前192年生」も参照
死去編集
「Category:紀元前192年没」も参照
- ナビス:スパルタの僭主(* 誕生年は不詳)
脚注編集
注釈
出典