紀元前379年
年
紀元前379年(きげんぜん379ねん)は、ローマ暦の年である。
世紀 | 前5世紀 - 前4世紀 - 前3世紀 |
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十年紀 |
前390年代 前380年代 前370年代 前360年代 前350年代 |
年 |
前382年 前381年 前380年 紀元前379年 前378年 前377年 前376年 |
当時は、「カピトリヌス、ウルソ、ユッルス、セクスティリウス、アルビニウス、アンティスティウス、トレボニウス、エレヌキウスが執政武官に就任した年」として知られていた(もしくは、それほど使われてはいないが、ローマ建国紀元375年)。紀年法として西暦(キリスト紀元)がヨーロッパで広く普及した中世時代初期以降、この年は紀元前379年と表記されるのが一般的となった。
他の紀年法
編集できごと
編集ギリシア
編集- スパルタはカルキディア同盟 (Chalkidian League) に圧力を加え、マケドニア王アミュンタス3世に有利な条件を呑ませた。
- ペロピダスを中心としたテーバイからの亡命者たちの小集団が、テーバイに潜入し、親スパルタ政権の指導者たちを暗殺した。エパメイノンダスとゴルギダス (Gorgidas) が若者の集団を率いて、テーバイの造兵廠に押し入り、武器を奪い、来援したアテナイの重装歩兵の助けも借り、カドメイア (Cadmea) に陣取っていたスパルタ守備隊を包囲した。翌日、エパメイノンダスとゴルギダスは、テーバイの民会にペロピダスとその手勢を招じ入れ、テーバイ人たちに自由のために戦うことを訴えた。民会は、ペロピダスとその手勢を解放者と認めた。スパルタ守備隊は、命の保証と引き換えに降伏し、退去した。親スパルタ派のテーバイ人は、一旦は降伏を許されたが、その後に処刑された。
- テーバイは、かつてのボイオーティア同盟を、新たに、民主政の下で再構築することになった。ボイオーティアの諸都市は、ボイオーティアの7地域から選ばれる7人の将軍(ボエオタルク、Boeotarch)が執行機関を構成する同盟として団結した。
中国
編集誕生
編集→「Category:紀元前379年生」も参照
死去
編集→「Category:紀元前379年没」も参照
脚注
編集注釈
出典