その経歴は桓武朝のものに限られる。
延暦2年(783年)正月、紀木津魚・吉弥侯横刀ら8人の夙夜における勤務を奨励して、爵をすすめたという記事があり[1]、続けて安提のみ正六位上から従五位下へ叙爵したとある。同年3月、文室忍坂麻呂の後任の左京亮に任命される。同4年(785年)6月、紀千世の後任の民部少輔に就任。この時の民部卿は佐伯今毛人。
注記のないものは『続日本紀』による。
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