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細川 慶前(ほそかわ よしちか、文政8年(1825年)7月 - 嘉永元年(1848年)4月)は、肥後熊本藩の世嗣。第10代藩主・細川斉護(初名:立政)の長男。官位は従四位下、侍従、兵部大輔。

幼名は雅之進[1]。初めは父・斉護の1字を受け護前(もりちか)[1]と名乗っていたが、のちに江戸幕府第12代将軍徳川家慶から偏諱(「慶」の字)の授与を受けて慶前と改名した。

生涯編集

文政8年(1825年)、肥後熊本藩の支藩の宇土藩主であった細川立政の嫡子として生まれ、翌文政9年(1826年)に立政改め斉護が宗家・熊本藩主の細川斉樹(斉護の叔父)の跡を継ぐとその世嗣となったが、家督を相続することなく嘉永元年(1848年)に24歳で早世した。法名は泰樹院[1]。正室に鳳台院茂姫(熊本新田藩主・細川利用の娘)を迎えていた[1]が子はなく、代わって、実弟の護順改め慶順(後の韶邦)が世嗣となった。

脚注編集