細谷 資芳(ほそや すけよし、1890年明治33年)10月8日-1945年昭和20年)5月8日)は、日本海軍軍人。最終階級は海軍少将

細谷 資芳
生誕 1900年10月8日
大日本帝国の旗 東京
死没 (1945-05-08) 1945年5月8日(44歳没)
所属組織  大日本帝国海軍
軍歴 1921 - 1945
最終階級 海軍少将
墓所 谷中墓地
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生涯 編集

1890年(明治33年)10月8日東京(現・東京都港区六本木)にて、海軍軍人細谷資氏の三男として生まれる。 府立一中卒、海軍兵学校第49期(昭和10年7月16日卒)。 パリに駐仏武官として赴任、第二次大戦勃発により、遣独(第二次)伊8潜水艦で、帰国する。 その後軍令部8課長を務め、昭和20年4月1日水上機要員養成の(茨城県)北浦航空隊司令として着任。 昭和20年5月5日(香川県)詫間航空隊司令に着任。北浦航空隊の魁隊の特攻を確認した後、報告のために飛行艇で上京する際、8日にアメリカ軍の攻撃を受け、戦死。 細谷の墓は東京都台東区谷中霊園にある。

参考文献 編集

  • 『海軍兵学校出身者(生徒)』発行者:海軍兵学校出身者(生徒)名簿作成委員会、1987年10月20日 第三版(改訂版)Pg142
  • 鈴木健二『在外武官物語』芙蓉書房、1979年3月20日 Pg205

関連項目 編集