細野 博吉(ほその ひろきち、1917年大正5年)3月30日 - 1995年平成7年)3月21日)は、日本帆布製品職人。

略歴 編集

東京府の生まれ。1928年昭和3年)細野商店にて帆布製品職人としての修行を開始する。1936年(昭和11年)立教大学山岳部による日本最初の海外登山ヒマラヤナンダコート遠征の装備を手掛ける[1]。この装備が高い評価を受け、以後多くの登山隊の装備を制作することとなり、槇有恒を隊長とする日本山岳会マナスル登山隊がマナスル初登頂を成功させた際の装備も担当した。1937年(昭和12年)細野商店の事業を継承する。

1956年(昭和31年)からは日本の南極地域観測隊の装備を製作することとなったが[1]、海外の南極観測隊からもその品質の高さが評価され、アメリカおよびニュージーランドの南極観測隊の装備も製作した。一方、後進の指導育成にも注力し、中央職業能力開発協会での技術指導に携わる。その後、中央職業能力開発協会では理事などを歴任した。これらの功績から1977年(昭和52年)に「卓越技能者労働大臣表彰」(現代の名工)を授賞[2]20世紀中期にアルプスをはじめとする世界の高山への日本の登山家・登山隊の挑戦を支えた登山装備品業界の第一人者。

受章・表彰歴 編集

脚注 編集

出典 編集

  1. ^ a b ナンダ・コート初登頂80周年記念事業再び、あの頂きを目指す.月刊インド(2017年6月号).2022年1月7日閲覧。
  2. ^ 歴代受賞者名簿.厚生労働省.2021年10月21日閲覧。

参考文献 編集

  • 「マナスルかげの人々 細野博吉」『毎日グラフ』1956年8月5日号、毎日新聞社。
  • 「登山用具の名職人」『アサヒグラフ』1959年7月19日号、朝日新聞社。
  • 「現代の名工100人」磨き抜いたこの道『毎日新聞』1977年11月9日。
  • 「現代の名工 労働省百人表彰」マナスル登頂導いた『読売新聞』1977年11月9日。
  • 「世界に誇れ 現代の名工」『朝日新聞』1977年11月9日。

外部リンク 編集