立教大学

日本の私立大学

立教大学(りっきょうだいがく、英語: Rikkyo University/Saint Paul's (スクール・ニックネーム))は、東京都豊島区西池袋3-34-1に本部を置く日本私立大学である。1922年に設置された。大学の略称立大(りつだい)。

立教大学
立教大学池袋キャンパス正門.JPG
池袋キャンパス正門

立教大学・池袋キャンパスの位置
立教大学の位置(東京都内)
立教大学
立教大学 (東京都)
立教大学の位置(日本内)
立教大学
立教大学 (日本)
大学設置 1922年
創立 1874年
創立者 チャニング・ウィリアムズ
学校種別 私立
設置者 学校法人立教学院
本部所在地 東京都豊島区西池袋3-34-1
北緯35度43分49.8秒 東経139度42分14.2秒 / 北緯35.730500度 東経139.703944度 / 35.730500; 139.703944座標: 北緯35度43分49.8秒 東経139度42分14.2秒 / 北緯35.730500度 東経139.703944度 / 35.730500; 139.703944
学生数 20,242
キャンパス 池袋(東京都豊島区)
新座(埼玉県新座市)
陸前高田グローバルキャンパス(岩手県陸前高田市)
学部 文学部
異文化コミュニケーション学部
経済学部
経営学部
理学部
社会学部
法学部
観光学部
コミュニティ福祉学部
現代心理学部
Global Liberal Arts Program (GLAP)
研究科 文学研究科
経済学研究科
経営学研究科
理学研究科
社会学研究科
法学研究科
観光学研究科
コミュニティ福祉学研究科
現代心理学研究科
キリスト教学研究科
ビジネスデザイン研究科
21世紀社会デザイン研究科
異文化コミュニケーション研究科
法務研究科
人工知能科学研究科
ウェブサイト https://www.rikkyo.ac.jp/
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概観編集

大学全体編集

 
池袋キャンパス本館(モリス館、東京都選定歴史的建造物)

イングランド国教会を始祖とする会派、米国聖公会(歴代米国大統領の1/4が信者)の宣教師チャニング・ウィリアムズ主教が、1874年(明治7年)に東京・築地に設立した聖書英学を教育する私塾、立教学校[注釈 1]を前身とする日本屈指の伝統校である。米国聖公会の信徒であったマシュー・ペリー黒船来航と初代米国総領事タウンゼント・ハリスの活動により日本での宣教勧告を受けた米国聖公会が、1859年(安政6年)に伝道と学校開設、医療活動を目的とするプロテスタント初となる日本ミッション長崎に開設したことに始まる。日本聖公会系のキリスト教主義学校ミッションスクール)である。

聖公会系の大学である名門オックスフォード大学クライスト・チャーチを始め、世界の聖公会系大学が120校以上加盟するCUAC(世界聖公会大学連合)に属している。 1883年(明治16年)に、米国式カレッジとして東京大学とともに日本最高レベルの教育機関である「立教大学校」を組織する[注釈 2]1922年(大正11年)には大学令による大学となり、文学部商学部予科を設置。キリスト教系大学としては同志社大学に次いで2番目に認可を受けた[4]第二次世界大戦前にはSt.Paul's Collegeと変更。現在は正式な英称をRikkyo Universityとするが、今もスクール・ニックネームとして「St.Paul's」が使われる[5]

戦間期以降、早稲田大学慶應義塾大学明治大学法政大学東京大学、そして立教大学で構成される東京六大学の一校に数えられる[注釈 3]
2001年から、同じ聖公会に属する聖路加国際大学と単位互換制度を開始。近隣の大学で構成するF-Campus(5大学単位互換制度)も開始した。

創立以来、国際性やリーダーシップを育むリベラルアーツ教育を実践しており、2021年時点で、10学部・27学科・8専修・1コース Global Liberal Arts Program(GLAP)を設置。大学院は15研究科を設置している。経営学部異文化コミュニケーション学部は、入試難易度が高く、看板学部となっている。

校友数は2019年時点で21万人を数え、全国および世界に「立教会」と呼ばれる校友組織が広がっている[6]。経済界を始め、出版、文学、メディアなど多くの分野で卒業生が活躍している。2016年に卒業生ネットワーク組織「立教グローバル/ローカルキャリア支援ネットワーク(GLCネットワーク)[7]」が発足し、多種多様な業界で活躍する卒業生たちが立教生のキャリア形成支援を行っている。

2020年には、日本国内で初となるAIに特化した人工知能科学研究科を大学院に創設した[8]

国際性、リベラルアーツ教育編集

米国聖公会が設立した大学であることから、歴史的にみても外国人教員が多く、国際的な学風を持っている[注釈 4]。1907年(明治40年)には清国留学生のための「志成学校」を築地に設立し、古くから留学生を受け入れた国際交流を行っている。ミッション系大学の特質もあり、創立以来、語学教育に定評があるが、近年、国際化戦略である「Rikkyo Global 24」を推進し、教育プログラムも進化している。英語によるディスカッションやプレゼンテーションなど社会で役立つ実践的なコミュニケーションスキルが身につくプログラムがあり、中でも経営学部・国際経営学科、異文化コミュニケーション学部、GLAPでは全員が海外留学研修を行っている。2013年にはグローバル教育センターを設置し、立教GLP(グローバル・リーダーシップ・プログラム)をはじめ、国際協力人材育成プログラムや海外インターンシップなどのプログラムを設けている。

2014年に、スーパーグローバル大学創成支援事業に採択。グローバル化が進展し国際交流が盛んになるにつれ留学生も増え、学内における国際交流と留学情報発信の拠点として、「グローバルラウンジ」を池袋、新座の各キャンパスに開設した。日本にいながら留学生と交流することで、多様な文化に触れ、語学力を高められる施設で、国際交流イベントやワークショップも多く開かれる。専属の国際交流コーディネーターによる留学相談窓口もあり、留学プログラムの情報提供も行う。より幅広い国の学生に対応するためにイスラム圏の学生が主に利用できる、祈りの部屋を設置するなど、施設面でも充実を図っている。国際交流ボランティア制度もあり、来日した留学生の生活サポートを行い、積極的に国際交流を行うことができる環境が整う。

2015年からは、スタンフォード大学の学生と「陸前高田プロジェクト」に取り組んでいる。2016年からは、全学部生が受講できる「グローバル教養副専攻」を開始した。所属する学部学科で修得する専門性に加えて、もう一つの専門性を修得することで、多面的に物事を捉え持続的に考える力を養成するプログラムで、大学が認定する海外学習も行う。3コース21テーマの中から興味・関心あるものを選択し、テーマに沿って体系的に学ぶ内容となっている。こうした主専攻+副専攻(メジャー、マイナー)の学部履修形態は欧米の大学では一般的であるが[注釈 5]、日本では、同じくミッション系大学国際基督教大学が履修選択方法の一つとしてメジャー、マイナー(主専攻+副専攻)のプログラムを設置している。グローバル教養副専攻の履修科目は卒業単位にも算入でき、修了すると卒業時に修了証が授与され、300以上ある全学共通科目とともに、リベラルアーツ教育が充実化した。また、他学部が開講する専門科目も一部を除き履修可能で、大学全体を通して履修できるプログラムの自由度が高いのが特徴となっている。

海外協定校は、2021年5月現在、世界43か国・地域に及んでおり、米国のコロンビア大学コーネル大学シカゴ大学バージニア大学、英国のケンブリッジ大学マンチェスター大学リヴァプール大学シェフィールド大学、フランスのパリ大学、オーストラリアのシドニー大学モナシュ大学ニューサウスウェールズ大学、シンガポールのシンガポール国立大学、中国の清華大学南京大学など、世界227の大学と259の協定を結んでいる[11]

リーダーシップ教育(BLP、立教GLP)編集

リーダーシップ教育においては、経営学部では少人数の体験・実践的なカリキュラムであるBLP(ビジネス・リーダーシップ・プログラム)[12]があり、実際に企業と連携し、企業から提示される課題にチームで挑む中で、プロジェクトの進め方を学び、リーダーシップ力が養える環境となっている。インターンシップと同じく、社会体験ができるアクティブラーニングとなっている。ここで培うリーダーシップ力は、これまでの組織内で権限を持つ一部の人が発揮するべきものとされた能力とは異なり、役職に関係なくすべての人が状況に応じて発揮することができるスキルである。

立教GLP(グローバル・リーダーシップ・プログラム)[13]は、内外で評価が高いBLPのメソッドを全学で展開するために、2013年度に設置された。BLPと同じく、企業や団体の提示するプロジェクト課題に少人数のチームで取り組み、実践的、体系的にリーダーシップを修得できる全学部を対象としたプログラムで、日本語科目のほか英語科目も設けられており、国際性や語学力も高めることができる。英語科目には、グローバル教育センターが指定する海外学習プログラムに参加するリーダーシップ海外体験科目も用意されている。

2016年度からは立教サービスラーニング(RSL)が全学共通科目で始まり、NPO、行政、企業等の受け入れ先での体験学習を通じて、リーダーシップ力を磨くプログラムを用意している。延世大学復旦大学慶應義塾大学とは「リーダーシップフォーラム」を毎年開催している。


名称の由来編集

「立教」の出典については諸説あり、いずれが真実か明らかでないが、近年の研究において、かつて聖公会の祈祷書(礼拝時に用いる規則書)にあった「立教師」ということばに由来するのではないか、と言われている[14]。この「立教師」ということばは、ウィリアムズ主教によって訳出された可能性が高い。その他の説として、朱子の『小学』立教篇から採ったとの説[15]、儒学者高愈が註をした「立教法以治人」から採ったとの説[16]ヘンリー・セントジョージ・タッカーが「立教はセント=ポールズの日本名で、それは『教えの建設』を意味する」と記したとの説[15]がある。

応援歌や学園祭の名称などで使用されているスクール・ニックネームの、“St. Paul”についても確かな文献は見当らないが、ウィリアムズ主教1882年頃に英名として「St. Paul’s School」と命名したと考えられている[17]。米国聖公会系の学校には全て「守護聖人」が存在しており、St.Paul(SAINT PAUL)=聖パウロは、新約聖書の著者の一人。ウィリアムズ主教は自ら遠く東洋へ赴いた伝道者として、偉大な聖パウロを守護聖徒と仰ぎ、その名を本学の名に冠したものと思われる。

建学の精神編集

校歌に謳われるように、立教学院は自らを「自由の学府」と呼び[18]、建学の精神を端的に表す言葉として各所で使用している[注釈 6]モットーは「PRO DEO ET PATRIA(神と国とのために)」[19]で、立教大学では、「普遍的なる真理を探究し、私たちの世界、社会、隣人のために」ととらえ、教育理念として位置づけている[20]

教育および研究編集

 
立教学院諸聖徒礼拝堂/チャペル
(東京都選定歴史的建造物、池袋キャンパス)

リベラルアーツ教育に基づき、グローバルな課題と社会的要請に対応し、広い視野に立って課題を発見・解決できる能力を持った「新しい」グローバルリーダーの育成を教育の中心に据えている。「新しい」グローバルリーダーに不可欠な要素として「柔らかなリーダーシップ」と「グローバルな力」を掲げ、教育プログラムを構成している。柔らかなリーダーシップとは、権限やカリスマ性がなくても、チームをまとめ、活性化させ、仲間の力を引き出すことができる誰もがトレーニングによって持つことができ活躍できる能力と捉えている。グローバルな力とは単に英語が話せるということではなく、あらゆる国や人種の多様な文化や価値観を受け入れ、認め、社会全体のために行動できる力としている[21]。これらの力は、遠い異国の地から日本にやってきて幾多の壁を乗り越え、道を開き活動した創立者や宣教師たちの行動力(沿革を参照)そのものを表しており、建学以来流れる教育指針といえる。

米国ニューヨークにある名門コロンビア大学は、ジョージ2世勅許によってイングランド国教会により設立された立教大学と同じ聖公会系の大学である。構内にはセントポールズ・チャペルも持つ。創立当初「キングス・カレッジ」としての大学の方針を確立する際に、すべての構成員は、宗教の自由の原則にコミットすることに同意している。立教大学の教育方針は、キリスト教精神に基づくリベラルアーツ教育であり、「自由の学府」として、コロンビア大学と同じく、宗教の自由の原則にコミットされている[注釈 7][注釈 8]ウィリアムズ主教は、1867年(慶応3年)、コロンビア大学より神学博士号を授与されている。

立教大学におけるキリスト教学は他のキリスト教系大学にあるような聖職者養成を目的とした神学ではなく、純粋に学問としてキリスト教を研究する宗教学である。したがって信仰の有無は問われない。文学部キリスト教学科では聖書学からキリスト教芸術や倫理学までキリスト教の広範な領域をカバーしており、キリスト教が世界の歴史や文化にどのような影響を与え、受けてきたのかを学び、世界の文化・思想・芸術など、多様な視点から探求することを目的としている。世界人口の約3分の1が信徒とも言われるキリスト教を広く学ぶことができる国際的な学科である。また、全学部生が履修できる全学共通科目では、仏教の世界やイスラームの世界についても学ぶことができる。文学部は大学設立当初に設置された文科をルーツとし、商科から続く経済学部経営学部[注釈 9]とともに立教大学で最も古い。文学部文学科には、英米文学フランス文学ドイツ文学といった伝統と歴史ある国際系学問の専修もあり、外国の文学、文化を学び国際的な知性と語学力を高めることができる。また、江戸川乱歩記念大衆文化研究センターでは、日本内外の大衆文化研究の拠点として研究成果の公開と社会還元を行っている。

経営学の分野では、経営学部に前述のBLP(ビジネス・リーダーシップ・プログラム)[12]があり、企業連携プロジェクトを通じてリーダーシップとコミュニケーション力を磨き、それぞれが自分の強みを発揮し、チームの成果を最大化させることを学ぶ。大学院には、「経営学研究科」にリーダーシップ開発に特化した経営学専攻リーダーシップ開発コース[22]があり、人材開発と組織開発を推進する人材を育成する。金曜夜と土曜日開講で、社会人も受講しやすい。また、リーダーシップ理論と教育技法を研究する「リーダーシップ研究所」も設置されている。国際経営学専攻は、国際経営分野でのリーダーシップ能力を備える人材育成を目的とする。企業経営の幅広い知識を提供し多角的な視野を養うビジネススクール型の大学院としては、「ビジネスデザイン研究科」[23]があり、ビジネスシミュレーションを通じて戦略的意思決定をチームで探究し、論理的な分析力と事業構想を実現する創造的能力を育成する。社会人が受講できる昼夜開講制である。

非営利・公共分野を研究の主対象とするビジネススクールである「21世紀社会デザイン研究科」[24]は、社会の課題をNPO/NGOなどの公益法人や非営利組織で解決する人材を育成する日本初の大学院専攻である。晩年、非営利組織研究に注力したP.F.ドラッカーが伝える「非営利組織とは、一人ひとりの人と社会を変える存在である。」を体現する人材を育成するためのプログラムといえる。また、日経ビジネススクールと共同で、大学院生でなくても社会人であれば誰でも受講できる「ソーシャルデザイン集中講座」も開講しており、幅広い学習環境を提供している。

 
初代学長の元田作之進や総長を務めた松下正寿が学んだコロンビア大学

異文化コミュニケーション学部は文化や言語の多様性を理解し、グローバル社会の新しい姿を追究する学部である。外国語で会話する(conversation)だけでなく、他者の行動や心情、文化的背景まで理解し、意思疎通(communication)する力を身に着け、価値観や意見が異なる中で生じる問題や課題を論理的に把握し、解決していくことができる人材を育成する[25]。ここで培われたコミュニケーション力、論理的思考力、問題解決能力は、国家間、民族間、宗教間などの国際舞台や多文化コミュニティで生じる問題に対処し解決していくだけでなく、実社会のあらゆる場面でも役立つ力となる。企業でもダイバーシティが広がり、多様性を理解し合う重要性が高まる中、異国の宣教師たちが異文化を乗り越えて作り上げてきた立教大学だからこそ、生まれた教育プログラムといえる。

アメリカ研究の機関として1939年に日本で最初に設立された「アメリカ研究所」[26]は、立教大学の最初の研究所でもある。設立以来、定期刊行物の発行、研究会や講演会の開催に加え、図書の収集・公開を通して日本におけるアメリカ研究を支援している。また、1963年設立の「ラテンアメリカ研究所」[27]は、ラテンアメリカに関する総合的な研究と、研究者、関連分野で活躍する人材の育成を行う。特に「ラテンアメリカ講座」[28]は日本の大学教育に欠けていた社会教育の場を提供し始めた日本における市民講座および公開講座の草分け的な存在で、1964年4月から半世紀以上に渡り開講されている。これは「開かれた大学」として大学教育を広く社会に提供することを早くから目指してきた立教大学の姿勢を示すもので、通年で12科目を開講している。中でも多岐の分野を扱う「ラテンアメリカ論」や語学科目の「ラテンアメリカスペイン語」は毎年多くの受講生を集めている。

上記に加え、社会に開かれた大学として、科目等履修生制度を設けており、多くの学部で開講されている科目を履修することができる[29]生涯学習としては、50歳以上のシニアのための立教セカンドステージ大学(RSSC)[30]が設置されている。1978年には受験生向けのオープンキャンパスを日本の大学で初めて開始した[注釈 10]

法学部は、法学科、政治学科、国際ビジネス法学科の3つの学科で構成され、1978年には昼間部総合大学で日本初となる社会人入試を開始した学部である。学科間の垣根が低いことが特徴で、法学と政治学を一つの学部で学ぶことができる。法学科には、法曹を目指す学生をサポートする法曹コースがある。また、公務員を目指す学生をサポートするために、公務員の職務内容や職業としての魅力を知ることができる講義や、行政が抱える課題に学生自らが解決案を企画、提案するなどの正課科目プログラムが用意されている。OB・OGをはじめとする現職の公務員との交流の場を設けるなどキャリア支援も行っている。2022年4月には、国際ビジネス法学科内にグローバルコースが開設予定である。

芸術分野では、現代心理学部に映像身体学科があり、映像制作(映画・写真・広告など)やダンス、演劇などが学べる。シアター型教室や撮影スタジオなどの設備も充実している。映画監督を多く輩出しているのも特色である。(立教と映画を参照)

観光分野では、1946年の「ホテル講座」から始まる70年以上の観光教育の歴史を有し、1967年に社会学部観光学科を設置。1998年には観光学科を改組し、日本初の観光学部と大学院に観光学研究科を開設した。観光学部は観光ビジネスや地域振興を創出する人材の育成を目的とするが、グローバル化の中で台湾の高級ホテルと6か月間の長期インターンシッププログラムを設置。2021年には金沢大学と観光産業分野の中核人材育成のため、連携・協力に関する協定を締結した。全米で名門として知られるコーネル大学のホテル経営学部と同様に、卒業生には老舗ホテルや旅館の経営者も多い。

理工学分野では、理学部の研究グループがJAXAのプロジェクトに参画し、小惑星探査機「はやぶさ2」に搭載したカメラ開発・運用に携わる[32]など宇宙関連の研究開発を進めている。理学部物理学科には宇宙物理学を専門にしている教員が多く在籍し、「素粒子・原子核」分野と「宇宙物理」の分野では、世界トップレベルの研究を行っている。論文の被引用数も多く、質の高い研究力によって世界における立教大学のプレゼンス向上に大きく貢献している[33]。理学部の別の研究グループでは「金属クラスターを用いた近赤外-可視光変換」に世界で初めて成功する[34]など産業界への貢献が大きく期待される成果を上げている。

大学院理学研究科では、順天堂大学大学院医学研究科と協定を締結し、医学物理士養成プログラムである医学物理学副専攻を設置している。

2020年4月に開設された人工知能科学研究科では、人工知能・データサイエンスを、人文・社会科学を含む全ての学術分野と掛け合わせることで、社会課題の解決やビジネスチャンスを生み出す力を育成する。これまでの技術ではなしえなかった新しい方法で未来を切り拓き、誰もが快適で活力に満ちた社会の実現に貢献することを使命としている。昼夜開講制で社会人が学びやすい。文系、理系、学部4年生、社会人を問わず、学生が集まり、1期生では社会人が約7割を占め、会計士や弁護士、医師、シンクタンク、マスコミ業、金融業、中学校の教員など多様な人材が集まっている[35]

立教とスポーツ編集

 
渡米した立教大学野球部の歓迎会(1932年春、ニューヨークのタウンホールにて)

東京六大学野球連盟に所属する野球部を始め、オリンピックや日本選手権など数々の大会で活躍したことから「水泳立教」と呼ばれ、日本水泳界をリードした水泳部。日本サッカーの父、デットマール・クラマーに学び、多くの日本代表と日本代表監督を輩出してきたサッカー部。全日本選手権優勝7回、全日本大学選手権優勝6回のバスケットボール部など、立教のスポーツは輝かしい歴史と伝統を持つ。アメリカンフットボール部も日本のアメフトの歴史そのものといえる由緒あるクラブである。

立教のスポーツは長い期間、低迷する時代が続いたが、近年になってスポーツ施設が生まれ変わり、アスリート選抜入試など受け入れる制度も整い、有望な選手たちが入学し、立教大学を胸に世界と戦うための環境ができつつある。野球部は、2017年全日本大学野球選手権で1958年以来59年ぶりに4回目の優勝を飾った。陸上競技では、2018年から「箱根駅伝2024事業」が開始し、立教大学の誇りと伝統校復活のため、強化を進めている。2019年には、剣道部が、第38回全日本女子学生剣道優勝大会で全国優勝し、女子ラクロス部は、第11回ラクロス全日本大学選手権大会で全国優勝し、それぞれ創部初の快挙となった。(スポーツを参照)

2008年には、スポーツ科学を総合的に学べるスポーツウエルネス学科がコミュニティ福祉学部に開設されている。2019年からは、同じ聖公会に属する聖路加国際大学と協定を締結し、プロ選手や日本を代表するトップアスリートの健康維持管理を医学的側面からサポートしてきた聖路加国際病院スポーツ総合医療センターの医療スタッフからスポーツにおける医療的な支援や協力を受けられる体制を整備している。

東京オリンピック・パラリンピックプロジェクト

オリンピック・パラリンピックの開催を契機に、スポーツを通じて多様性を尊重する社会の実現を目指し、スポーツから得られる感動体験とともに活力をもって生きる環境と機会を生み出す教育・研究活動を推進するプロジェクト。2016年11月に発足。具体的な活動に、立教スポーツの活性化、通訳・ボランティア派遣等大会支援活動、しょうがい者スポーツボランティアの育成、競技への科学的サポートなどがある。大会がゴールではなく、活動を活性化させる契機と捉えている。ブラジルオリンピックチームとは大学の施設をトレーニングキャンプで利用する覚書を締結している[36]

立教大学とオリンピック

立教大学とオリンピックのつながりは古く、1924年(大正13年)のパリ大会で、水泳部の学生が100メートル背泳ぎで6位入賞したことに始まり、1936年(昭和11年)のベルリン大会では、水泳部の学生2名が競泳男子800m自由形リレーで世界新での金メダルを獲得した。サッカーでは、1964年(昭和39年)の東京オリンピックにサッカー部から3名の日本代表選手が出場し、次の1968年(昭和43年)のメキシコ大会でも3名の選手が活躍し、銅メダルを獲得した。その他競技も含め、立教大学からこれまで60名以上の選手を送り出し、コーチや監督といった選手を支えるスタッフとしても多くの関係者が出場している。競技以外でも、1964年(昭和39年)の東京オリンピックの選手村食堂運営に、立教大学の「ホテル研究会」の学生が携わった[36]
2020東京オリンピックで、池袋キャンパスに設置されたスピードクライミング壁で練習を行っていた野中生萌が、新競技となるスポーツクライミング女子複合で銀メダルを獲得した。

沿革編集

略歴編集

 
立教大学築地校舎(1909年)

米国聖公会英国国教会起源の会派)の信徒であるマシュー・ペリーの来航(黒船来航)と、初代米国総領事でニューヨーク市立大学シティカレッジの創設者でもあるタウンゼント・ハリスの活動による日本の開国に伴い、ハリスと遣清宣教師から宣教勧告と情報を得た米国聖公会が、1859年(安政6年)2月に日本での伝道、学校開設、医療活動を目的とする日本ミッションの開設を決定した。この決定を受けて中国(当時、)で活動していた米国聖公会宣教師のジョン・リギンズチャニング・ウィリアムズが任命され、プロテスタント最初の宣教師[注釈 11]として、1859年(安政6年)の5月と6月に来日し、長崎ミッションを開設したことに始まる。
ウィリアムズ主教は、1870年(明治3年)に大阪・川口の与力町に英語塾「のちの英和学舎(1887年立教大学校に合併)」を設立し、1874年(明治7年)には東京・築地外国人居留地聖書英学の教育を目的とした私塾「立教学校」を設立する。これらの学校が立教大学の前身である。
1883年(明治16年)には米国式カレッジとして日本最高峰の教育機関である立教大学校を設立[注釈 2]1918年(大正7年)には校地を池袋に移し、現在に至る。創立以来、米国聖公会による経営であったが、戦時期から邦人による経営となった。大学創立者であるウィリアムズ主教が、先導的な役割を果たし1887年(明治20年)に設立された日本聖公会で洗礼を受けた信徒たちは、立教大学において学びたいと動機づけられ、実際に彼らが立大生になることが少なくない。

年表編集

     
 
崇福寺 山門
  • 1862年(文久2年)
  • 1863年(文久3年)- 荘村助右衛門がウィリアムズのもとを訪ねる[注釈 30]
  • 1864年(文久4年、元治元年)
    • ウィリアムズの教え子の何礼之が、長崎の自邸で英語の私塾を開く。塾長は前島密[59]
    • 9月 - 同じくウィリアムズの教え子の前島密が、何礼之の許可を得て、苦学生のために瓜生寅と私塾「倍社」をフルベッキが以前寓居していた崇福寺広福庵に開く[59]
  • 1865年(元治2年)- 何礼之の私塾が、長崎奉行から支援を受けて塾舎を新設。準官立となり、塾生は百数十名を数えた[59]
  • 1866年(慶応2年)
  • 1867年(慶応3年)- ウィリアムズ、米国コロンビア大学より神学博士号を授与される[61]
  • 1868年(慶応4年、明治元年)
  • 1869年(明治2年)7月 - ウィリアムズ、大阪に活動拠点を移す(日本と中国間を往来)[注釈 31][62][65]
 
聖テモテ教会と英和学舎
 
J.H. クインビー
  • 1870年(明治3年)
  • 1871年(明治4年)
    • 5月 - アーサー・ラザフォード・モリスが大阪に到着[注釈 33][64]
    • 12月 - モリスが大阪・古川町に私塾と診療所のための家屋を入手し、ウィリアムズが与力町の英語塾を古川町(2丁目)に移転[64][65]
  • 1872年(明治5年)
    • 2月21日 - ウィリアムズが大阪・古川町に私塾(男子校)を開設[注釈 34] [3][62]
    • 私塾は開設からわずか4ヵ月で大阪当局により閉鎖させられる[3]
    • 12月 - J.H. クインビーがウィリアムズの要請によりC.D.B.ミラーとともに夫人を伴って大阪に着任。
  • 1873年(明治6年)
    • 2月24日 - 政府がキリシタン禁制の高札撤去。
    • 3月4日 - 閉鎖していた大阪・古川町の私塾を改称し、聖テモテ学校が開校(モリスが初代校長)[64][65]
    • 11月 - ウィリアムズ、東京に活動拠点を移す[68]
 
立教大学校校舎(1882年竣工、築地居留地37番、ガーディナー設計)
 
聖三一大聖堂(1889年竣工、ガーディナー設計)
  • 1874年(明治7年)
    • 2月3日 - ウィリアムズが東京・築地外国人居留地私塾を開設[注釈 35] [43]
      年末までに立教学校と命名する[69]
      初代校長はクレメント T. ブランシェ[注釈 36][71]
    • 12月 - 東京の塾は築地入舟町5丁目1番地(内外人雑居地)に移転[43]
    • J.H. クインビーがモリスの後任として大阪の聖テモテ学校の校長となる[64][65]
    • ウィリアムズ、この年に初代日本伝道専任主教となる[43]
  • 1875年(明治8年)
    • 1月 - エレン・ガードルード・エディ(1874年11月、大阪に着任)が手伝っていた聖テモテ学校の女子生徒を引き取り[注釈 37]、大阪でエディの学校を開校[3][64][65]
    • 9月 - エディの学校が照暗女学院(のちの平安女学院)と改称[注釈 38][注釈 39][注釈 40]
    • 立教学校、東京・入船町6丁目に校舎兼寄宿舎を開設。
    • 官立学校の発展などもあり、大阪の聖テモテ学校の生徒数が減少する[64][65]
  • 1876年(明治9年)
    • 6月 - 大阪の聖テモテ学校が廃校となる[64][65]
    • 11月29日 - 東京市街地の大火により立教学校は校舎など焼失。立教学校はこの後2年間余り休眠状態となる[43]
  • 1877年(明治10年)
  • 1878年(明治11年)11月 - 大阪から上京した宣教師J.H. クインビーによって東京の私塾、立教学校が再開[43]
  • 1879年(明治12年)
    • 6月27日- 学校を京橋区築地1丁目23番に移転し、本格的に再興する。貫元介名義で「立教学校」として私学開業願を提出[3][43]
    • 10月 - T.S. ティング(1878年末に大阪に到着)が大阪で廃校になった聖テモテ学校の再開に力を注ぎ、新たに大阪北区上福島村に英和学舎として開校[64]
    • 12月 - 東京で再び火事があり、立教学校の校舎は無事だったものの、ウィリアムズの家が焼失[3]
 
T.S. ティング
  • 1880年(明治13年)
  • 1881年(明治14年)10月 - 大阪・英和学舎[注釈 44]を川口居留地21番に新築し、移転[64]
  • 1882年(明治15年)
    • 5月 - 大阪で聖テモテ教会を川口居留地21番に設置(現川口基督教会)[64]
    • 6月 - 立教学校の英称を「St. Paul's School」とする[3][17]
    • 10月 - ウィリアムズの教え子の大隈重信東京専門学校(のちの早稲田大学)を設立。
    • 12月 - ガーディナー校長の設計による新校舎が東京・築地居留地37番に完成。ゴシック風の3階建煉瓦校舎[43]
  • 1883年(明治16年)
    • 1月 - 立教大学校 (St. Paul's College、6年制) 設立。アメリカ合衆国式のカレッジで、東京大学とともに日本最高峰の教育機関。カリキュラムはすべて英語の教科書を用い、教員もおもに外国人であった(第1次学政改革)[2]。校長にはガーディナーが就任[43]。大学校内に三一神学校を併置[80]
  • 1884年(明治17年)
  • 1887年(明治20年)
  • 1888年(明治21年)3月 - 立教大学校、明治学院東京英和学校東洋英和学校の4校で同盟文学会結成。
  • 1889年(明治22年)
    • 12月1日 - 築地居留地39番にガーディナー設計の築地・聖三一大聖堂が完成する[注釈 46]
    • ウィリアムズ、米国聖公会日本伝道主教を辞任する(60歳)[57]
  • 1890年(明治23年)10月 - 国粋主義が広がりはじめ、欧化主義への反動的な時代風潮もあり、立教大学校の生徒数が半減。校内にも日本化の機運が高まり、カレッジ構想を一旦断念し、立教大学校は左乙女豊秋ほか日本人教師を多数採用し、校名を立教学校に戻す(第2次学政改革)[57]
  • 1892年(明治25年)7月- T.S. ティングがガーディナーの後任として校長に就任[43]
 
築地校舎群と六角塔
(1895、1896年竣工、ガーディナー設計)
 
博物館明治村に移設された京都聖ヨハネ教会堂(1907年竣工、ガーディナー設計)
  • 1893年(明治26年)
    • 6月 - ジョン・マキム、ウィリアムズの後任の米国聖公会日本伝道主教となる[43]
    • この年までに築地校地の永代借地権を取得[86]
  • 1894年(明治27年)
    • 6月 - 明治東京地震により校舎の一部倒壊[43]
    • 7月 - 「立教学校教育の趣旨」を発表[87]
    • 9月 - 補充科(1年制)・普通科(5年制)・専修科(3年制)を設ける(第3次学政改革)。
  • 1895年(明治28年)
    • 3月 - 立教学校文学会機関誌『八紘』発刊(1897年まで)[88]
    • 12月 - 立教尋常中学校寄宿舎竣工(築地居留地59番、60番)[89]
  • 1896年(明治29年)
    • 立教尋常中学校校舎(六角塔)竣工(築地居留地57番、58番)[3]
    • 4月 - 立教学校を廃し、立教専修学校(3年制)と立教尋常中学校(5年制)を設置(第4次学政改革)。
  • 1897年(明治30年)
    • 9月 - 東京英語専修学校を神田錦町に開校(1903年閉校)。立教学校ミッションを結成(翌年から機関誌『築地の園』創刊)[90]
    • 10月 - 牧師左乙女豊秋が日本人初の4代目校長として就任[91]
  • 1898年(明治31年)
 
アーサー・ロイド
 
ヘンリー・セントジョージ・タッカー
  • 1906年(明治39年) - ウィリアムズ、京都聖ヨハネ教会の創立資金を出す。ガーディナーに設計依頼[61]し、翌年教会堂が完成。(現在、博物館明治村に移築展示されている。)
  • 1907年(明治40年)
  • 1908年(明治41年)
    • 4月 - ウィリアムズがアメリカに帰国。
    • 10月 - 立教大学英語会成立。
  • 1909年(明治42年)秋 - タッカーが大学移転用地として北豊島郡巣鴨村大字池袋(現在の豊島区池袋)の土地1万7千坪を購入[43]
  • 1910年(明治43年)12月 - ウィリアムズ永眠。
  • 1911年(明治44年)
    • 6月 - 東京三一神学校と聖教社神学校が合併し、聖公会神学院を設立[96]
    • 8月 - 財団法人日本聖公会教学財団設立。
  • 1912年(大正元年)9月 - チャールズ・ライフスナイダー[97]が総理に就任。
  • 1915年(大正4年)4月 - 大学学友会結成。
  • 1918年(大正7年)9月 - 北豊島郡西巣鴨町の新校地(池袋)に移転。本館、図書館、寄宿舎(現2号館、3号館)、食堂が竣工。
  • 1919年(大正8年)
    • 4月 - 「立教大学設立の趣意書」を発表[98]
    • 5月 - 池袋校舎落成式を挙行、来賓として大隈重信出席[99]
  • 1920年(大正9年)
    • 1月 - 立教学院諸聖徒礼拝堂(池袋キャンパス)聖別式挙行。
    • 4月 - 文科を文学部、商科を商学部とし、予科を2年制とする。
  • 1921年(大正10年)
    • 6月 - 財団法人日本聖公会教学財団を財団法人聖公会教育財団と改称。
    • 10月 - 野球部、四大学野球連盟に加盟。
  • 1922年(大正11年)5月 - 大学令による大学へ昇格。文学部(英文学科、哲学科、宗教学科)、商学部予科を発足。
  • 1923年(大正12年)
    • 9月 - 関東大震災により築地校地が壊滅[100]。池袋の大学も被害を受ける。
    • 10月 - 立教中学校が池袋の大学内に移転[101]。大学は10月15日に、中学校は10月18日に授業再開。立教女学校(現・立教女学院)の校舎も焼失したため、池袋の立教大学内に学校事務所を設け、滝乃川学園の校舎にて授業再開。志成学校が校舎倒壊により閉校。
    • 12月 - 築地訣別式を挙行[102]
  • 1924年(大正13年)
 
池袋校舎(1925年頃)
  • 1928年(昭和3年)- 聖路加国際病院設立者、ルドルフ・トイスラー[注釈 47]の依頼により、ポール・ラッシュが関東大震災後の聖路加の新病院建設募金活動に尽力(1931年まで)。
  • 1931年(昭和6年)
    • 4月 - 商学部を経済学部に改称。
    • 8月 - 財団法人聖公会教育財団を分離し、財団法人立教学院(8月7日認可)と財団法人聖公会神学院を設立。立教学院の理事長にマキム、学院総長にライフスナイダーが就任。
    • 10月 - 野球部が六大学リーグ戦で初優勝。
    • 12月30日 - J・V・W・バーガミニー設計の宣教師館(のちの立教学院校宅11号館・12号館)が竣工する[107]
  • 1932年(昭和7年)
    • 4月7日 - 野球部がアメリカ遠征。7月2日まで試合を行う(10勝10敗)。
    • 10月 - 立教学院クリスチャン・アーミーを結成[108]
  • 1934年(昭和9年)12月 - 早稲田明治とともに東京学生米式蹴球競技連盟を結成。初代理事長にポール・ラッシュが就任。
  • 1936年(昭和11年)
  • 1937年(昭和12年)3月 - J・H・モーガンの設計による予科新校舎(現4号館)竣工[111]
  • 1939年(昭和14年)9月 - アメリカ研究所開設[112]
  • 1940年(昭和15年)
    • 2月 - 学位規則認可[113]
    • 8月 - 日米関係の悪化により8月から9月にかけて日本聖公会が米国聖公会からの経済的独立を決定。
    • 10月 - 上記影響より、ライフスナイダーが学院理事長・総長を退任し、総長事務取扱となる。後任の学院理事長に松井米太郎が就任。
    • 11月 - ライフスナイダーが総長事務取扱を退任。替わって遠山郁三・大学学長が総長を兼務した。翌年には、理事も全員邦人となる。
  • 1941年(昭和16年)
    • 6月 - 立教大学報国団結成。
    • 7月 - 本国政府の指示により米英人教員の帰国が相次ぐ。
    • 10月 - ライフスナイダーが米国へ帰国。
    • 12月 - 太平洋戦争勃発。
 
清里高原にあるポール・ラッシュ像
  • 1942年(昭和17年)
    • 6月 - 日本に最後まで留まっていたポール・ラッシュ教授が交換船により強制送還される[114]。ラッシュは米国送還後、米国陸軍日本語学校に志願し日系2世兵を指導し、米国各地の教会で戦争後の日本救済への支援協力を訴えるため講演活動を行う。
    • 9月 - 理事会が寄付行為目的を「基督教主義ニヨル教育」から「皇国ノ道ニヨル教育」への変更を決議し、11月に申請(翌年2月15日認可)。[43]
  • 1943年(昭和18年)
    • 軍部や政府の圧力によってプロテスタント系各派とともに日本聖公会日本基督教団への合同を強要されるが、八代斌助日本聖公会を守りとおす。
    • 9月 - 経済学部経済学科を国家経済科、商学科を経営経済科と改称。
    • 10月 - チャペルを閉鎖し、「修養堂」と改称。一般教職員・学生の礼拝等に用いないといった内規も理事会で決定した。
    • 12月 - 文学部閉鎖。
    • 文学部の学生が慶應義塾大学文学部に委託学生として編入[115]
  • 1944年(昭和19年)4月 - 立教理科専門学校設置。
  • 1945年(昭和20年)
    • 4月 - 理科専門学校を工業理科専門学校に改組。
    • 8月15日 - 終戦。
    • 9月 - 授業が再開される。
    • 10月15日 - 「文部省訓令第8号」の発布。これによって1899年(明治32年)から存続し続けた「文部省訓令第12号」が無効になった[92]。1947年(昭和22年)5月3日に施行された日本国憲法とともに、信教の自由が保障される。
    • 10月20日 - GHQから2人の係員が立教大学を視察。ひとりはかつて立教大学で教鞭をとっていたポール・ラッシュであった[116]。ラッシュは立教大学、日本聖公会聖路加国際病院の再生とともに、アメフトや清里の復興にも多大な貢献をすることになる。
    • 10月24日 - GHQの覚書『信教の自由侵害の件』により2代目総長の三辺金蔵ほか11名が追放される[117][91][116]
    • 11月7日 - 理事会は寄附行為目的を「基督教主義ニヨル教育」に復帰することを可決。
  • 1946年(昭和21年)
    • 4月 - 女子学生4名が初めて入学[118]
    • 5月 - 文学部復活(キリスト教学科・英米文学科)。
  • 1947年(昭和22年)4月 - 文学部社会学科設置。新制「立教中学校」開設。
  • 1948年(昭和23年)
  • 1949年(昭和24年)4月 - 新制大学として認可・発足。文学部(基督教学科、英米文学科、社会学科、史学科、心理教育学科)、経済学部(経済学科、経営学科)、理学部(数学科、物理学科、化学科)が開設。医学部の開設も決定されたが、聖路加の病院施設が1956年までGHQの接収を受けており、実現には至らなかった[119]
  • 1950年(昭和25年)4月 - 立教工業理科専門学校を廃止[120]
 
タッカーホール(池袋キャンパス)
  • 1954年(昭和29年)
  • 1955年(昭和30年)4月 - 一般教育課程を一般教養部と改称。
  • 1956年(昭和31年)
    • 4月 - 文学部日本文学科を開設
    • 11月 - 板橋区練馬区にまたがる土地を東京都から借り受け、セントポール・グリーンハイツ(総合グラウンド)竣工[広報 1]
  • 1957年(昭和32年)5月 - 米国聖公会の寄付により原子力研究所設立(神奈川県横須賀市[122]
  • 1958年(昭和33年)
    • 1月 - 名誉博士規程を制定。
    • 4月 - 文学部社会学科が社会学部に昇格。
    • 5月 - アジア地域研究施設を開設[123]
    • 7月 - 新座校地を東武鉄道より譲り受ける。
    • 野球部が六大学リーグ戦で4連覇を達成。
  • 1959年(昭和34年)
    • 4月 - 総長である松下正寿の尽力により法学部を設置。5号館・6号館開館。
    • 6月 - 総長公選制を採用。
  • 1960年(昭和35年)
    • 4月 - 立教高等学校を新座へ移転。
    • 12月 - 旧図書館本館・新館新築落成(現メーザーライブラリー記念館新館)。
  • 1961年(昭和36年)12月 - 立教大学原子炉、臨界試験成功[124]
  • 1962年(昭和37年)4月 - 文学部心理教育学科を心理学科・教育学科に分割。キリスト教教育研究所を設置[125]
  • 1963年(昭和38年)4月 - 文学部ドイツ文学科、フランス文学科設置。立教学院聖パウロ礼拝堂(新座キャンパス)聖別式、落成式挙行。
  • 1964年(昭和39年)
  • 1966年(昭和39年)6月 - 新座グラウンド開設。東長崎グラウンドを売却[127]
 
ウィリアムズ主教像
三坂耿一郎作)
  • 1967年(昭和42年)
    • 4月 - 社会学部観光学科設置(初代学科長は野田一夫)。
    • 5月 - ウィリアムズ主教像建立[128]
  • 1968年(昭和43年)
  • 1969年(昭和44年)5月 - 埼玉県入間郡富士見町(現・富士見市)に学院総合グラウンド完成。仏文科人事問題をきっかけに大学紛争起こる[43]
  • 1970年(昭和45年)
  • 1971年(昭和46年)11月 - タッカー主教像建立[129]
  • 1972年(昭和47年)
  • 1973年(昭和48年)9月 - 大場事件起こる[130]
  • 1974年(昭和49年) - 創立100周年記念式典を挙行。
  • 1978年(昭和53年)
    • 11月 - 9号館竣工。昼間部総合大学で日本初となる社会人入試を法学部で開始。
    • 日本初となる受験生を対象としたオープンキャンパスを開始[注釈 10]
  • 1980年(昭和55年)7月 - コンピュータ・センター開設。
  • 1982年(昭和57年)
    • 4月 - 新座に大学の「図書館保存書庫」を設置。
    • 5月 - 理学部実験棟落成。
    • 11月 - 「鈴懸の径」歌碑建立[131]
  • 1985年(昭和60年)10月 - 大学院社会学研究科で社会人入試と外国人入試を実施。
  • 1988年(昭和63年)12月 - 法学部国際・比較法学科設置。
  • 1990年(平成2年)4月 - 新座キャンパス開設。各学部(当初は経済学部を除く)1年次生が週1日通学を開始。
  • 1992年(平成4年)3月 - ウィリアムズホール竣工。
  • 1994年(平成6年)
    • 5月 - 7号館竣工。
    • 12月 - 全学共通カリキュラム運営センター発足。
  • 1995年(平成7年)3月 - 大学一般教育部解散。
  • 1996年(平成8年)
    • 2月 - 16号館竣工。
    • 4月 - 法学部政治学科設置。
    • 8月 - 太刀川記念館竣工。
  • 1997年(平成9年)4月 - 全学共通カリキュラム始まる。
  • 1998年(平成10年)
    • 4月 - 39年ぶりの新学部、観光学部(観光学科)・コミュニティ福祉学部(コミュニティ福祉学科)設置。新座キャンパスを武蔵野新座キャンパスに名称変更。
    • 9月 - 17号館竣工。
  • 2000年(平成12年)
  • 2001年(平成13年)
  • 2002年(平成14年)
    • 3月 - 江戸川乱歩の邸宅と書庫として利用していた土蔵が立教大学に譲渡される。
    • 4月 - 経済学部会計ファイナンス学科、社会学部現代文化学科、理学部生命理学科設置。21世紀社会デザイン研究科、ビジネスデザイン研究科、異文化コミュニケーション研究科が、独立研究科として昼夜開講で授業開始。
  • 2004年(平成16年)4月 - 法科大学院設置[132]
  • 2006年(平成18年)
    • 4月 - 経営学部現代心理学部設置。経済学部経済政策学科、社会学部メディア社会学科、文学部文学科、観光学部交流文化学科、コミュニティ福祉学部コミュニティ政策学科設置。文学部日本文学科、英米文学科、フランス文学科、ドイツ文学科、心理学科、経済学部経営学科、社会学部産業関係学科募集停止。
    • 武蔵野新座キャンパスを新座キャンパスへ改称。
    • 6月 - 江戸川乱歩記念大衆文化研究センター開設。
  • 2007年(平成19年)
    • 4月 - 法学部の国際・比較法学科を国際ビジネス法学科に名称変更。
    • 8月 - 大学院理学研究科が順天堂大学大学院医学研究科と協定を締結し、医学物理士養成プログラムを設置。
    • 12月 - J・V・W・バーガミニー設計の立教学院校宅11号館・12号館(旧宣教師館)が新校舎建設のため解体。移築できるよう2007年9月下旬からの解体工事とともに保存調査が行われ、部材を倉庫に保管。(移築先は未定)
  • 2008年(平成20年)4月 - 異文化コミュニケーション学部(異文化コミュニケーション学科)設置。コミュニティ福祉学部スポーツウエルネス学科設置。立教セカンドステージ大学開校。
  • 2009年(平成21年)
    • 3月 - 14号館竣工。
    • 4月 - 文学研究科組織神学専攻募集停止、キリスト教学研究科設置。
  • 2010年(平成22年)3月 - 7号館B棟竣工。
  • 2011年(平成23年)3月 - マキムホール竣工(15号館)。8号館落成(新座)。富士見総合グラウンド「クラブハウス」および「馬術部関連施設」竣工。
  • 2012年(平成24年)9月 - ロイドホール竣工(18号館)、池袋図書館開設。
  • 2013年(平成25年)
    • 3月 - ポール・ラッシュ・アスレティックセンターおよび立教池袋中・高教室棟竣工。チャペル会館落成。
    • 4月 - グローバル教育センター開設。旧図書館本館(旧館・新館)の名称をメーザーライブラリー記念館へ変更。
    • 10月 - 立教学院諸聖徒礼拝堂(池袋キャンパスチャペル)に新パイプオルガン導入。
  • 2014年(平成26年)
    • 創立140周年。
    • 1月 - 立教学院聖パウロ礼拝堂(新座キャンパスチャペル)に新パイプオルガン導入。
    • 4月 - メーザー・ラーニング・コモンズ開設。
    • 5月 - 立教学院展示館が開設。
    • 7月 - セントポールズ・フィールド完成。
    • 9月 - 文部科学省「スーパーグローバル大学創成支援」に採択。
  • 2015年(平成27年)3月 - セントポールズ・アクアティックセンター竣工。
  • 2016年(平成28年)
    • 4月 - 社会学部に「国際社会コース」、異文化コミュニケーション学部に「Dual Language Pathway」を設置。
    • 11月 - 東京オリンピック・パラリンピックプロジェクトが発足。
 
野球部、全日本大学野球選手権で59年ぶり4回目の日本一
  • 2017年(平成29年)
    • 2月 - ポールラッシュ・アスレティックセンターがパラリンピック水泳競技のナショナルトレーニングセンター競技別強化拠点施設に指定。
    • 4月 - Global Liberal Arts Program(GLAP)開設。岩手県陸前高田市岩手大学と共同で「陸前高田グローバルキャンパス」開設(立教大学陸前高田サテライトを含む。東日本大震災を教訓とした防災教育などを実施)[広報 2][133]
    • 4月 - 大学院理学研究科に順天堂大学大学院医学研究科と連携した医学物理学副専攻を設置。
    • 5月 - 2018年度以降の法科大学院の学生募集の停止を決定[132]
    • 6月 - 野球部全日本大学野球選手権で優勝。1958年以来59年ぶり4回目の日本一の栄冠。
    • 6月 - ブラジルオリンピック委員会と施設利用等に関する覚書を締結。
    • 7月 - 西武ライオンズと地域社会の発展、教育振興への寄与を目指し「連携協力に関する基本協定」を締結。
    • 7月 - 豊島区と「2020年の東京オリンピック・パラリンピック事業における連携協力に関する協定」を締結。
  • 2018年(平成30年)
    • 4月 - 初代総長のライフスナイダー以来初の外国籍総長郭洋春就任。
    • 8月 - 日本身体障がい者水泳連盟、日本知的障害者水泳連盟と連携協力に関する包括協定を締結。
    • 9月 - 理学部とJAXAによる連携講座「JAXA宇宙科学技術講義」が開講。
    • 10月 - 観光学部が台湾の高級ホテル「リージェント タイペイ」と6か月間の長期インターンシップ実施の覚書を調印[134]
    • 11月 - 立教箱根駅伝2024事業始動。
    • 12月 - プロクライマーの野中生萌豊島区と連携し、東京23区初のスピードクライミング壁を池袋キャンパス内に設置。
  • 2019年(平成31年)
    • 2月 - 理学部の研究室が開発に協力した光学航法カメラを搭載した小惑星探査機「はやぶさ2」が小惑星リュウグウの着地に成功。
    • 12月 - 聖路加国際大学と医療的な支援および協力に関する協定を締結。
  • 2020年 (令和2年)4月 - 人工知能科学研究科を設置(日本初の人工知能に特化した大学院)。
  • 2021年 (令和3年)
    • 2月 - 理学部の研究グループが「金属クラスターを用いた近赤外-可視光変換」に世界で初めて成功[34]
    • 3月 - 金沢大学と観光分野を中心とする中核人材育成のため、連携・協力に関する協定を締結。
    • 8月 - 2020年東京オリンピックで、池袋キャンパスで練習を行っていた野中生萌が、新競技となるスポーツクライミング女子複合で銀メダルを獲得。
  • 2022年 (令和4年)4月 - 法学部の国際ビジネス法学科内に「グローバルコース」を設置予定。

基礎データ編集

 
池袋キャンパス
 
杉浦貞二郎

所在地編集

象徴編集

校歌編集

校歌『栄光の立教』
作詞:諸星寅一、補作詞:杉浦貞二郎、作曲:島崎赤太郎。大正10年(1921年)に野球部五大学リーグに加わったのをきっかけに作られた。作詞は当時の学長事務取扱・杉浦貞二郎が、立教中学校教諭の諸星寅一に依頼。出来上がった歌詞の各節末尾に杉浦学長の発案で「自由の学府」の文句を付け加え完成した。それに東京音楽学校(現:東京芸術大学)教授の島崎赤太郎が曲をつけ、大正15年(1926年)、校歌「栄光の立教」が誕生した。その年の卒業式で初めて公に歌われた。スマートフォン携帯電話着信メロディとしてもダウンロードできる。
第一応援歌『行け!立教健児』
作詞:小藤武門、作曲:土橋啓二。昭和21年(1946年)、太平洋戦争で中断していた東京六大学野球が華々しく復活した。「新しい時代には、新しい応援歌を」と当時の応援団団長・小藤武門が古今聖歌集の聖歌300番を基に作詞をした。
第二応援歌『St.Paul's will shine tonight』
昭和2年(1927年)、米国カリフォルニア州フレズノ日系二世を中心に結成された野球チーム「the Fresno Athletic Club」が来日し、本学バスケットボール部とバスケットボールの親善試合を行った。試合後、フレズノ側が自チームの応援歌「セント・フレズノ ウィル シャイン…」を「リッキョー ウィル シャイン…」と歌い、勝った立教を祝福した。この歌はバスケ部歌となり、やがて大学の応援歌となった。授業開始・終了時のチャイムとしても使われている。詳細は「フレスノ野球団」を参照。
第三応援歌『若き眉』
第四応援歌『栄光立教』
第五応援歌『勝ちて歌わん』
第六応援歌『輝く栄光』
学生歌『紫の旗』
 
楯のマーク

楯のマーク編集

オフィシャル・シンボルであるのマークは、建学の精神を具体的に表現するものとして、1918年(大正7年)にライフスナイダー総理が定めたものといわれている。楯のマークには「立」の文字の下に十字架聖書がデザインされている。現在のマークはの2色が基本デザインで、紫は「王の色」、白は「清純の象徴」、白色の十字架は「キリストの純潔」を意味している[注釈 50]。楯の中に書かれている「PRO DEO ET PATRIA」という言葉は「神と国のために」というラテン語で、「普遍的なる真理を探究し、私たちの世界、社会、隣人のために」ととらえ、立教学院の目的として位置づけている[137][138]

 
ユリの紋章 昭和中期
 
ユリの紋章 昭和後期

ユリの紋章編集

百合紋章フルール・ド・リス)を楯のマークに次ぐセカンダリ・シンボルとして採用している[137]。立教の学生や生徒、児童、各校の卒業生に広く愛用されているユリの紋章は、1932年(昭和7年)、学生キリスト教団体「立教大学ローバース」によって使用され始めた。立教ローバースは、2021年で創設97周年を迎えた歴史ある団体で、学内では学生キリスト教団体、山岳関係団体にも所属し、日本ボーイスカウト東京連盟城北地区豊島第8団に所属する、ボーイスカウト団体である。
ユリは純潔の象徴とされ、キリスト教と深いつながりを持つ。元来、ユリの紋章は神の三位一体性を象徴したもので、キリスト教国では勝利の記号に用いられるが、立教大学では知・徳・善あるいは、愛・正義・誠を象徴するものとして使用されてきた。

スクールカラー編集

スクールカラー紫色のマークの色に由来する[137]。紫色は「王の色」を意味する[138]。また紫は、校歌の歌詞として「紫匂える武蔵野原」とあり、武蔵野の代表的植物「ムラサキ」としても歌われる[注釈 51]

校旗編集

紫紺地に白色の十字架と左肩に金色の「立」が描かれている。楯のマークに由来し、楯と同じく、紫色は「王の色」、白色は「純潔・正義」を象徴し、十字架は「イエス・キリストとその愛」を、「立」の金色は研究・教育を通して追究すべき「真の価値」を象徴している。1924年(大正13年)にライフスナイダー総理と杉浦貞二郎学長とによって立案、制定された[138]

本館 モリス館(池袋キャンパス)編集

1918年(大正7年)、米国聖公会宣教師アーサー・ラザフォード・モリスが遺した寄付によって建てられた本館(1号館)は「モリス館」と呼ばれている。ニューヨークのマーフィー・アンド・ダナ建築事務所によって設計された。かつて米国で流行っていたカレッジ・ゴシック様式であり、米国のセントルイス・ワシントン大学プリンストン大学でも見ることができる。

創建当初は、中央の時計塔が現在よりも荘厳な3層構造の建物で、周囲よりも高層なシンポリックな「塔」であったが、1923年(大正12年)の関東大震災で塔の上層が被害を受けたため、その後、修復する際に1層低い現在の2層構造で再建されることとなった。創建当時の姿である3層構造の建物で比較すると、アーサー・ロイドも学んだ英国ケンブリッジ大学のセント・ジョンズ・カレッジクイーンズ・カレッジの建物に酷似しており、マーフィー・アンド・ダナ建築事務所が設計の際に参考にしたものと思われる。時計塔の時計は、南北の文字盤を親時計が動かしている。動力には分銅(重り)が使われており、現在も担当者が分銅を引き上げる作業を行っているが、当初は1週間に1度程度行っていたものが、3層構造から2層構造への減築時に塔の高さが短くなったことから、現在の3~4日に1度の作業となった。親時計は、イギリスの国会議事堂に付属するビッグ・ベンと同じ、E・デント社製である。

モリス館は2012年に耐震補強と内装改修が行われたが、3層の時計塔の再建はなされなかった。モリス館は東京都選定歴史的建造物に選定されている建物であるが、選定基準にある保存状態について、「外観・敷地の状況が建設当時の状態で保存されているもの」とされていることに加え、近年、三菱一号館東京駅丸の内駅舎[注釈 52]など明治期や大正期の建物を創建当時の姿に蘇らせる復元プロジェクトが全国的に進んでいることから、今後立教大学のシンボルとして復元される可能性がある[140]

 
ツタと赤レンガ

ツタと赤レンガ編集

本館正門から見て右側のツタは、1924年に聖公会神学院のチャペルから移植されたキヅタで、一年中緑色をしている。左側は、フランク・ロイド・ライトが設計した目白・自由学園明日館から1925年に移植された。本館全体に這っているのはナツヅタで、秋には葉を落とす。池袋キャンパスを象徴するレンガ建造物は、「フランス積み」と呼ばれる、一段に長手面と小口面が交互に並ぶ組積法で構築されている。非常に手間がかかる施工方法で明治中期以降はほとんど用いられていないが、大正期になってあえてこの方法を採用したのは、装飾面でより優れている点を見越してのことだったと言われている[141]

 
クリスマスイルミネーション

クリスマスイルミネーション編集

本館前の2本のヒマラヤ杉は、1920年ごろ植林された。高さは約25メートルで、現在も成長を続けている。このヒマラヤ杉を用いたクリスマスイルミネーションはクリスマスの時期、池袋のランドマークとなる。イルミネーションの始まりは、戦後間もない1949年ごろ。当時、400個余り取り付けられていた色電球は、現在は1,000個以上である[141]

立教学院諸聖徒礼拝堂(チャペル/池袋キャンパス)編集

1916年に定礎式が行われ、1919年に他のレンガ建物群とともに落成。東京都選定歴史的建造物に選定されている。1923年の関東大震災後に改修され、1998年に免振工事が施された。日々の礼拝をはじめ、創立記念やクリスマスなどさまざまな礼拝が行われている。また、パイプオルガンハンドベルなどのコンサートや、結婚式も行われている。

立教学院聖パウロ礼拝堂(チャペル/新座キャンパス)編集

チェコ出身の建築家アントニン・レーモンドの設計により1963年に建てられた。礼拝のほか、コンサートなども開かれている。1967年にチャペル会館、回廊、ベルタワーなどが完成。チャペルとチャペル会館は五角形の回廊でつながれ、上空から見ると「立」の字のロゴの形となるように配置されている。ベルタワーは高さ31m。大・中・小3種類の鐘が礼拝前に鳴り響く。

パイプオルガン編集

池袋キャンパスにあるチャペル「立教学院諸聖徒礼拝堂」には、2013年にイギリスのティッケル社が製作したイギリス・ロマン派様式の新パイプオルガンが導入されている。導入に伴い、それまで設置されていたドイツ・バロック様式のベッケラート社製のパイプオルガンは2013年に竣工した池袋キャンパス・チャペル会館2階にあるマグノリア・ルームに2014年6月末に移設された。新座キャンパスにあるチャペル「立教学院聖パウロ礼拝堂」には、2014年にアメリカのフィスク社が製作したフランス・ロマン派様式の新パイプオルガンが導入されており、立教大学には3つの異なるタイプのパイプオルガンが設置されている。また、大学には教会音楽の研究・教育活動を行う「教会音楽研究所」[142]があり、日本における教会音楽の充実と発展のため、研究に加え資料収集や教会音楽に携わる方との交流や研修を行い、一般の方向けにもオープンなプログラムを提供している。

教育および研究編集

組織編集

学部編集

 
池袋キャンパス7号館(メディアライブラリー)
 
池袋キャンパス4号館(旧予科校舎)
 
池袋キャンパス14号館
  • 文学部(池袋キャンパス)
    大学創立時からの流れを汲む文学部の学科数は学内で最も多かったが、2006年度改編に伴いキリスト教・文・史・教育の4学科となり、新たに専修が加わった。また、比較文芸・思想コースが設置されていたが、2008年度をもって廃止し、文芸創作部門、思想・哲学部門、文化・文明批評部門が「文芸思想専修」となった。このコースは正式な学科ではないが、このコースを履修する学生には独自科目を配置。入学した学科に所属しながら、コース独自の科目を履修し、卒業時には「卒業研究」として創作文芸作品や芸術研究、共同制作の映像作品などを提出した。
  • 経営学部(池袋キャンパス)
    「リーダーシップの育成」を目標に掲げ、グローバル化する社会に資する人材を育成すべく、独自のプログラムを展開している。学外の高校や企業とのコラボレーションも盛んで、学部生は一年生の段階から、授業を通して企業から提示されたプロジェクト課題に取り組み、問題解決やプレゼンテーションなど実践的なスキルを身につけていく。
  • グローバルリベラルアーツプログラム(池袋キャンパス)
    2017年より開設。原則、英語で授業が行われる科目の履修だけで学位の取得が可能となっている。2年次の秋学期から始まる留学までは、GLAP生全員が寮で生活する。その上で、2年次の秋学期から3年次の春学期までの1年間、全員が海外の協定校に留学する。帰国後は「Humanities」「Citizenship」「Business」という3分野から専門領域を選択し、4年次には「Final Year Seminar」を履修しつつ、卒業論文を執筆する。文部科学省スーパーグローバル大学創成支援」採択を受けて開設された。

研究科編集

 
池袋キャンパス太刀川記念館
 
池袋キャンパス11号館(法科大学院、独立研究科、グッドデザイン賞受賞)
  • キリスト教学研究科(博士前期課程・後期課程)
    • キリスト教学専攻
      • 前期課程のコース
        • キリスト教学研究コース
        • ウィリアムズコース - キリスト教に関わる現場で2年以上の実務経験を有する者が対象。
      • 聖公会牧師養成校(神学校)である聖公会神学院との単位互換制度がある。
  • ビジネスデザイン研究科(博士前期課程・後期課程)
  • 文学研究科(博士前期課程・後期課程)
    • 日本文学専攻
    • 英米文学専攻
    • ドイツ文学専攻
    • フランス文学専攻
    • 史学専攻
    • 超域文化学専攻
      2010年4月に地理学専攻から名称変更。人文地理学、文化人類学、考古学、民俗学、地域研究を融合した研究、教育を実施。
    • 教育学専攻
    • 比較文明学専攻
      「現代文明学領域」「文明工学領域」「言語多文化学領域」「文明表象学領域」という4つの研究領域(科目群)を設置。
  • 経済学研究科(博士前期課程・後期課程)
    • 経済学専攻
      前期課程に社会人コースを設置。夜間や土曜日に展開される科目を中心に履修することが可能となっている。
      本学唯一の院生による自治会を有している。
  • 経営学研究科
    • 経営学専攻(博士前期課程・後期課程)
      • 前期課程のコース
        • アカデミック・コース - 研究者養成のためのコース
        • プロフェッショナル・コース - 高度職業人養成のためのコース
        • リーダーシップ開発コース - 人づくりと組織づくりの高度専門人材育成のためのコース
      • 専門分野
        • マネジメント分野
        • マーケティング分野
        • アカウンティング&ファイナンス分野
    • 国際経営学専攻(博士前期課程)
      全科目が英語で開講
  • 理学研究科(博士前期課程・後期課程)
    • 物理学専攻
      理論物理学研究室、原子核・放射線物理学研究室、宇宙・地球系物理学研究室がある。
    • 化学専攻
    • 数学専攻
    • 生命理学専攻
      教員は「分子生物学」「生物化学」「分子細胞生物学」の3領域に分かれている。
  • 社会学研究科(博士前期課程・後期課程)
    • 社会学専攻
      2006年に、社会学専攻と応用社会学専攻の2専攻体制から1専攻体制に改編。「社会研究領域」「政策研究領域」「文化研究領域」「都市研究領域」「メディア研究領域」「コミュニケーション研究領域」という6つの研究領域がある。
  • 法学研究科(博士前期課程・後期課程)
    • 法学政治学専攻
      2006年に、比較法専攻、民刑事法専攻、政治学専攻を法学政治学専攻に改編。法学・政治学の垣根を越えた科目履修による、基礎的研究能力の育成と高度の専門知識の修得を教育目標としている。
  • 観光学研究科(博士前期課程・後期課程)
    • 観光学専攻
      「観光行動・観光文化研究」「観光地域・観光地計画研究」「観光産業・観光事業経営研究」の3分野がある。
  • コミュニティ福祉学研究科(博士前期課程・後期課程)
    • コミュニティ福祉学専攻
      「社会福祉学系」「コミュニティ政策学系」「スポーツウエルネス学系」「福祉人間学系」の4分野からなるカリキュラムを展開。
  • 現代心理学研究科(博士前期課程・後期課程)
    • 心理学専攻
    • 臨床心理学専攻
    • 映像身体学専攻
      研究領域は「基盤研究系」(理論研究)、「制作・表現系」(実践研究)、「プロデュース系」(芸術制作の運営研究)の3部門からなる。
  • ビジネスデザイン研究科(博士前期課程・後期課程)
    • ビジネスデザイン専攻
      社会人のためのビジネススクール型大学院で、就業経験が2年以上あることが応募要件となっている。
  • 21世紀社会デザイン研究科(博士前期課程・後期課程)
    • 比較組織ネットワーク学専攻
      研究領域には「コミュニティデザイン学」「危機管理学」「社会組織理論」がある。
  • 異文化コミュニケーション研究科
    • 異文化コミュニケーション専攻(博士前期課程・後期課程)
      「異文化コミュニケーション」「環境コミュニケーション」「言語コミュニケーション」「通訳翻訳コミュニケーション」の4分野を複合的に研究。
    • 言語科学専攻(博士前期課程)
      2012年4月に開設。「言語科学」と「言語教育」の2領域を設置。
  • 法務研究科(法科大学院
    • 法務専攻
      法学未修者用の「3年標準型」と、法学既修者用の「2年短縮型」がある
      2004年(平成16年) に設置したが、6年連続の定員割れで、2018年(平成30年)に学生募集を停止[132]
  • 人工知能科学研究科(2020年4月開設)
    • 人工知能科学専攻
      日本初のAIに特化した大学院

附属機関編集

 
池袋キャンパス3号館(左、旧寄宿舎、東京都選定歴史的建造物)と11号館(右、法科大学院)、マキムホール(奥、15号館)
 
ライフスナイダー館[144]
  • 総合研究センター
    • アメリカ研究所
      立教大学における最初の研究所として1939年に設立。
    • キリスト教教育研究所
    • ラテンアメリカ研究所
    • 社会福祉研究所
    • 観光研究所
    • アジア地域研究所 (CAAS)
    • 英語教育研究所
    • 教会音楽研究所
    • 日本学研究所
    • ウエルネス研究所
    • ビジネスロー研究所
    • グローバル都市研究所
    • ESD研究所
  • 社会デザイン研究科附属機関
    • 社会デザイン研究所
  • コミュニティ福祉学部附属機関
    • コミュニティ福祉研究所
  • 経営学部附属機関
    • リーダーシップ研究所
  • 経済学部附属機関
    • 経済研究所
  • 法務研究科附属機関
    • 法曹実務研究所
  • 理学研究科附属機関
    • 先端科学計測研究センター
    • 未来分子研究センター
    • 生命理学研究センター
    • 数理物理学研究センター
  • 現代心理学部附属機関
    • 心理芸術人文学研究所
  • 心理教育相談所
  • 原子力研究所(神奈川県横須賀市長坂2-5-1)
    1957年に設立。米国聖公会から寄贈された原子炉は1961年に初臨界に達したが、2001年に稼働を停止。現在は廃止措置中。
  • ジェンダーフォーラム
  • 立教学院史資料センター
  • ビジネスクリエイター創出センター
  • 平和・コミュニティ研究機構
  • 江戸川乱歩記念大衆文化研究センター
  • 共生社会研究センター
    「住民図書館」から寄贈されたNGONPO関連資料等を所蔵、一般公開している。埼玉大学共生社会教育研究センターと連携。
  • 社会情報教育研究センター
  • 観光ADRセンター
  • 全学共通カリキュラム運営センター
    • 全学共通カリキュラム運営センター
      • 英語教育研究室
      • ドイツ語教育研究室
      • フランス語教育研究室
      • スペイン語教育研究室
      • 中国語教育研究室
      • 諸言語教育研究室
    • 総合教育科目構想・運営チーム
      • 人文学系サポートグループ
      • 自然・情報科学系サポートグループ
      • 社会科学系サポートグループ
      • スポーツ人間科学系サポートグループ
  • ランゲージセンター
  • 英語ディスカッション教育センター
  • 日本語教育センター
  • 学校・社会教育講座
    • 教職課程
    • 学芸員課程
    • 司書課程
    • 社会教育主事課程
  • 総長室
  • 教務部
  • 学生部
  • キャリアセンター
  • 新座キャンパス事務部
  • 保健室
  • 国際センター
  • メディアセンター
  • ボランティアセンター
  • 入学センター
  • リサーチ・イニシアティブセンター
  • 大学教育開発・支援センター
  • 人権・ハラスメント対策センター
  • グローバル教育センター
  • 立教セカンドステージ大学
    50歳以上を対象とした生涯学習機関で、修業年限は1年。カリキュラムは「エイジング社会の教養科目群」「コミュニティデザインとビジネス科目群」「セカンドステージ設計科目群」「ゼミナール・修了論文」で構成されている。文部科学省認可の大学ではないが、修了者は学校教育法105条の規定に基づく「履修証明書」が交付される。
 
メーザーライブラリー記念館 (旧図書館本館旧館)東京都選定歴史的建造物
 
メーザーライブラリー記念館新館(旧図書館本館新館)
  • 礼拝堂
    • 立教学院諸聖徒礼拝堂(池袋キャンパス)
    • 立教学院聖パウロ礼拝堂(新座キャンパス)
  • 図書館
    • 池袋図書館
      2012年、本館、池袋メディアライブラリー、人文科学系図書館、社会科学系図書館、自然科学系図書館が統合して誕生。
    • 新座図書館
    • 新座保存書庫
  • 旧江戸川乱歩邸
  • 立教大学出版会

教育編集

1997年から始まった全学共通カリキュラムは一般教養科目の新しい展開方法として導入された仕組みであり、このカリキュラムに含まれている「立教科目」と呼ばれる科目群は「特色ある大学教育支援プログラム」に採択されている。

  • 現代的教育ニーズ取組支援プログラム(現代GP)
    • バイリンガル・ビジネスパーソンの育成~多層イマージョン教育プログラム~(2004年採択)
    • 理数教育連携を通じたCBLSプログラム~豊島区との理数教育連携による専門教育プログラム「Community-Based Learning in Science Education」~(2005年採択)
    • 国際ビジネスにおける知財活用人材の養成(2006年採択)
  • 特色ある大学教育支援プログラム(特色GP)
    • 立教科目――建学の精神から学ぶ科目展開(2005年採択)
    • 学生相談を核とした全学的学生支援の展開(2006年採択)
  • 派遣型高度人材育成協同プラン
    • CSR (Corporate Social Responsibility) インターンシップ・プログラム(2005年採択)
    • ビジネスデザイン研究科による派遣型ビジネスクリエーター養成プログラム(2006年採択)
  • 法科大学院等形成支援プログラム
    • 原訴訟資料オンライン共有システムの構築(2004年採択)
  • 「魅力ある大学院教育」イニシアティブ
    • 持続可能な未来へのリサーチワークショップ(異文化コミュニケーション学構築をめざして)(2005年採択)
  • 大学院教育改革支援プログラム
    • 観光学研究科によるツーリズム・イノベーターの戦略的育成(2007年採択)

学生生活編集

学園祭編集

立教大学の学園祭は池袋キャンパスではSt.Paul's Festival (SPF)、新座キャンパスではIVY Festaと呼ばれ、毎年秋に両キャンパスで開催される。
St.Paul’s Festivalは学園祭のNo.1を決定する「学園祭グランプリ」で2019年にMVPを獲得。「ベストオブ学園祭」でも2017年に大賞に選ばれるなど、注目度が高い学園祭で、来場者数は毎年5万人を超える。 立教大学広告研究会が主催するミス立教コンテストが同時開催され、グランプリを選出する。ミス立教出身者の多くは、アナウンサーやモデル、タレントなどで活躍している。また、ミスター立教コンテストも開催されている。
St.Paul's Festivalは東京六大学学園祭連盟に加盟している。

クラブ・サークル活動編集

学術・文化・スポーツの分野にわたり、さまざまなクラブ・サークル活動団体がある。そのうち大学の公認団体としては、約200余りの団体があり、学生の自主的な運営によって学内外で活発に活動している。

主なクラブ・サークル
  • 立教大学体育会応援団
1931年、東京六大学野球リーグ戦初優勝を機に、応援に来る学生を統率していこうと、当時柔道部の根本享有氏ら体育会各部の有志が集まり立教大学体育会応援団が創設された。東京六大学応援団連盟に加盟する。リーダー部、吹奏楽部、チアリーディング部の三部から組織されており、野球部を始め体育会各部の応援を行っている。
  • 「立教スポーツ」編集部
体育会本部の情報宣伝部として体育会機関紙「立教スポーツ」を発行している立教大学公認団体。体育会51部55団体の情報を体育会各部やOB・OG、一般読者に伝え、立教大学体育会の発展と向上に寄与するという目的のもと日々取材を行っている。
音楽系
  • 立教大学交響楽団
1919年(大正8年)に発足して以来、第2次世界大戦による活動停止などの時代を経て、今日までその伝統と音楽を受け継ぎながら積極的な演奏活動を行う。同志社大学と合同で行われる「同立交歓演奏会」、定期演奏会、メサイア演奏会、卒業演奏会などの演奏会があり、年間を通じた演奏活動を行っている。
  • 立教大学マンドリンクラブ
1964年創部で、マンドリンを中心としたオーケストラ、ポップ、クラシック、マンドリンオリジナルなど様々なジャンルを演奏している。8月のサマーコンサートや、1年間の集大成を披露する定期演奏会などの演奏活動を行っている。
  • 立教大学スペインギタークラブ
1960年の発足した部活で、クラシックギターやフラメンコギター、またウッドベースやパーカッションなどを用いて音楽を創り出している。プロの世界で活躍するギタリストやフラメンコバイラのOB・OGもいる。
  • 立教大学グリークラブ
1923年創立の歴史ある大学公認合唱団。年4つの演奏会をメインに活動しており、混声、女声、男声などその内容は多岐にわたる。
  • 立教大学軽音楽部
R&B, FUNK, JAZZ, SOUL, POPS, FUSION, BLUESなどのブラックミュージックを中心に、幅広いジャンルを演奏している。
  • 作詞作曲部OPUS
立教大学のバンドサークルでは最も部員の多いサークルのうちのひとつとなっており、メジャーなものからマイナーなものまで、幅広い趣味を持った部員が在籍する。アーティストとして活躍するOB・OGも多い。
  • クラブDJ
40年以上の歴史を誇るサークルで、週に2回の練習会、月に1回のイベント開催などの活動をしている。
学生キリスト教団体
  • 立教学院諸聖徒礼拝堂 聖歌隊
礼拝で聖歌やアンセムなどを歌う団体。混声聖歌隊と女声聖歌隊という二つのグループによって構成されているが、現在は両グループ合同で活動している。
  • 立教大学オーガニスト・ギルド
オーガニスト・ギルドは、池袋・新座両キャンパスで行われる礼拝で、パイプオルガンの奏楽をもって奉仕する団体。
  • 立教学院諸聖徒礼拝堂ハンドベルクワイア
立教学院のチャペルに属するサークル。年3回チャペルで開催されるコンサートに向けて日々練習を重ねるとともに礼拝での奉仕に勤しんでいる。
  • 立教ローバース
2019年で創設95周年を向かえた歴史ある団体で、立教大学内では学生キリスト教団体、山岳関係団体にも所属し、日本ボーイスカウト東京連盟城北地区豊島第8団に所属するボーイスカウト団体。
演劇系
  • 立教大学劇団テアトルジュンヌ
1954年(昭和29年)4月に創立。公演は4月、10月、12月の年3回、1公演あたり5~6ステージを行っている。ウイリアムズホール4階スタジオを使い、舞台・客席とも全て自分達で作り、公演を行っている。
  • 演劇研究会
6月、11月、3月の年3回、本公演を行っている。池袋キャンパス内ウィリアムズホール4階のスタジオを公演場所として使用し、恵まれた環境で芝居をすることが出来る。
  • 劇団志木
立教大学唯一のミュージカルサークル。主に新座キャンパスのユリの木ホールで活動している。年3回の公演を目標に、公演に向けた練習に取り組んでいる。
創作・表現系
  • アルバム制作委員会
立教大学の卒業アルバムの制作・販売を行っているサークルである。アルバムを撮影から編集、販売まで全てを手掛けている。
  • St.Paul's Campus(SPC)
「好き」を「行動」につなげる「好動提案マガジン」をコンセプトとしたフリーペーパーを創るサークル。年3回(春・夏・冬)発行する本誌と、秋に1年生だけで作る増刊号を発行している。
  • サパンヌ美術クラブ
1920年頃設立された総合芸術サークル 『セントポール美術倶楽部』を前身に、1959年に美術部門が独立して『サパンヌ美術クラブ』となった歴史ある美術系サークルである。
  • SPF(セントポールズフェスティバル)運営委員会
池袋キャンパスの学園祭であるSt.Paul's Festivalを運営する団体。
  • IVY Festa(アイビーフェスタ)実行委員会
新座キャンパスの学園祭であるIVY Festaを運営する団体。
  • 立教大学放送研究会
音声番組や映像番組を企画・撮影・編集して、年に数回学内外に向けて番組発表会を開催するなどしている。池袋キャンパスの学園祭(St.Paul’s Festival)でのステージイベントも行っている。
  • 立教大学広告研究会
広告に関する研究を行うとともに、学園祭のイベントであるミス立教、ミスター立教コンテストなどを企画・運営する。
  • 立教大学英語会(E.S.S)
2018年に100周年を迎えた歴史あるクラブ。Debate・Discussion・Drama・Speechの4つのセミナーのどれかに属し、それぞれのセミナーにおいて専門的な知識を深める。
学術・研究系
  • 立教大学法学研究会
法学研究会(法研)は自主ゼミナールを主体としたサークル。ゼミは1~2年生の必修科目にあわせたものや、一つのことについて深く学んでいくものなどバリエーションに富んだ内容を展開する。どのゼミもアットホームな雰囲気で、ゼミのあとの懇親会を有志で開いたりしている。また、関東学生法学連盟の活動にも力を入れている。
  • 立教大学学生法律相談室
立教大学公認団体として運営されている団体。弁護士の指導のもと、学生が民法および借地借家法関係の相談を行っている。
  • 立教大学ジャーナリズム研究会
1958年に平井隆太郎教授のもとに集まった社会学部の学生が始めたサークル。普段は社会問題や学部の授業で感じたことなど 好きなテーマをサカナにして「ミーテ(ミーティングの略)」と呼んでいる議論を行っている。新歓や学祭の時期にはフリーペーパー「JET」を配布する。
  • 立教大学考古学研究会
時代も国も問わず歴史について研究をしているサークル。週1、2回、昼休み、又は授業後に活動している。
ダンス系
  • 立教大学D-mc
D-mcは、500人以上が所属する立教大学のインカレダンスサークル。立教大学D-mcは優勝経験も多く、大学ダンス界でもトップを争うサークルである。

スポーツ編集

体育会の各種目において同志社大学との定期戦が古くから行われているほか、明治大学との定期戦も歴史がある。また、六大学による対抗戦が野球以外の種目でも行われているのに加え、水泳部の法政大学明治大学・立教大学による三大学定期戦や、ボート部の日本大学、立教大学、明治大学による日立明三大学レガッタなど、各種目によって多くの大学と定期戦を行っている。

体育会
東京六大学野球連盟に所属している。多くの卒業生がプロ野球へ進んでいる。また、創生期の全日本大学野球選手権大会で3回優勝している。ユニフォームは上下とも白地に紺色の縦ストライプが入ったシンプルなデザインで、ニューヨークヤンキースのユニフォームを模して作られている。帽子には百合紋章フルール・ド・リス)がマークとして用いられている。胸の校名の表記は「RIKKIO」となっており、ローマ字表記と異なるが、IとKが左右対称(IKKI)になるようにデザインされたロゴである。2017年には東京六大学野球春季リーグで優勝し、続いて出場した第66回全日本大学野球選手権で、1958年以来59年ぶりに4回目の優勝を飾った。
  • 陸上競技部
2020年に創部100周年を迎えた伝統ある団体である。OB・OG会である紫聖会と協力して活動を行っている。男子長距離は、箱根駅伝で、第33回大会総合3位を最高位に27回出場の記録があるが、1968年(昭和43年)を最後に箱根路から遠ざかっている。2018年から立教箱根駅伝2024事業が開始し、創立150周年を迎え第100回大会となる2024年の箱根駅伝出場を目標に、立教の誇りと伝統校復活のため、強化を進めている。
  • 水泳部
1921年(大正10年)に創部され、2020年に創部100周年を迎えた伝統のあるチームである。現在、競泳部門とシンクロ部門から構成されている。過去には1936年(昭和11年)のベルリンオリンピック800mフリーリレーで在校生2名の世界新での金メダル獲得を始め、日本選手権水泳競技大会日本学生選手権水泳競技大会などで活躍し、水泳立教と呼ばれ、日本水泳界をリードする時代もあった。長らく低迷する時代が続いたが、近年有望選手が入部し、ユニバーシアード日本代表や日本選手権に出場する選手が出てきており、強化が進んでいる。
関東学生アメリカンフットボール連盟1部Bブロックに所属。日本のアメリカンフットボールの歴史は、立教大学教授であったポール・ラッシュの尽力により1934年12月8日に実施された日本発の公式戦、立教大学対明治大学との対戦から幕を開けた。以来、立教ラッシャーズは、日本最古のアメリカンフットボールチームとして学生日本一を争う甲子園ボウルに6回出場、内優勝4回という輝かしい成績を残している伝統のある強豪クラブである。また、ポール・ラッシュは「日本アメリカンフットボールの父」と呼ばれ、ライスボウル(日本選手権)の最優秀選手には、氏の名を冠したポール・ラッシュ杯が授与される。ラッシャーズの愛称もラッシュに因んでいる。
関東ラグビーフットボール協会に所属。関東大学ラグビー対抗戦グループで戦っている。ラグビー草創期の1923年に創部された伝統を誇る。長く低迷していたが近年になって復調の兆しを見せている。2020年度にBグループからAグループに昇格。
  • サッカー部
1923年創部。1953年度全日本大学サッカー選手権大会で優勝。関東大学サッカーリーグ1部で過去3回優勝(1954年、1959年、1970年)。多くの日本代表選手を輩出し、メキシコオリンピック銅メダル獲得に貢献。OBも日本代表監督を複数名が務めた伝統あるチーム。現役の学生選手が日本代表チームに選出されていたことから、日本サッカーの父と呼ばれたデットマール・クラマーと親しく、クラマーもサッカー部の発展に寄与した。1970年の天皇杯では、準優勝。現時点(2020年度大会終了時)で学生チームによる最後の天皇杯決勝進出である。1990年代には現日本サッカー協会会長の田嶋幸三がサッカー部コーチを務めていた。長らく低迷していたが、2018年に41年ぶりに関東大学サッカーリーグに復帰した。2021年現在、関東大学サッカーリーグ2部に所属。
1921年創部。全日本バスケットボール選手権大会で優勝7回、全日本大学バスケットボール選手権大会で6回優勝した古豪で、日本代表監督・選手、協会会長職を輩出するバスケットボール界屈指の伝統校。長い低迷が続いていたが、近年は強化が進み、2021年現在、関東大学バスケットボールリーグ3部に所属している。
  • 山岳部
1922年に創部された歴史ある部で、日本人として初めてヒマラヤのナンダ・コートに登頂を果たすなど、海外でも大きな功績を残している。一年を通じてオールラウンドに活動しており、登山を中心に、ロッククライミング沢登り、雪山登山、アイスクライミングなど季節に応じた活動を行っている。2017年には「ナンダ・コート初登頂80周年記念事業」として、立教大学OB2人を含む少数精鋭5名の登山隊を編成し、81年ぶりにナンダ・コートへの遠征を行った。その模様はBS11の開局10周年の特別番組として放送された。
1919年創部。1964年の全国学生相撲選手権大会にて、立教大学から初の学生横綱を輩出した。1980年~1990年代前半、部員不足に陥り、他の部から「助っ人」も多く出場していた。その様子は、映画「シコふんじゃった。」(1992年 脚本・監督 周防正行)のモデルになり、第16回日本アカデミー賞最優秀作品賞受賞作品になった。2018年には、学生相撲の男子相撲部にて、初の女性主将が誕生し、話題になった[145][146]。この年、インカレ団体戦Bクラス(2部リーグ)にて、40年ぶりにベスト8に進出した[147]
  • ボート部
1948年創部。埼玉県戸田市に艇庫と合宿所があり、戸田漕艇場で練習を行っている。歴史のある日立明三大学レガッタ(日本大学、立教大学、明治大学の3校によるボート対抗戦)も行われている。全日本大学選手権大会では、2002年、2015年、男子舵手なしフォア、2019年、女子エイトが優勝。全日本選手権では、2016年に、創部68年目で初めて実業団などを抑えて男子舵手なしフォアで優勝、2019年には女子ダブルスカルで優勝するなど、近年強豪校となっている。
  • 馬術部
1927年創部。富士見総合グランドにある馬場で練習活動を行っている。2019年には「第69回全日本学生賞典障害馬術競技大会」で創部以来初となる個人優勝を果たした。
  • 剣道部
1928年創部。2019年には、第38回全日本女子学生剣道優勝大会で創部初の全国優勝。1968年に剣道部に最初の女子学生が入部してから初の快挙となった。
  • 卓球部
1918年(大正7年)創部の歴史ある団体。現在関東学生リーグにおいて、男子、女子ともに3部に在籍している。
  • ホッケー部男子
1924年(大正13年)創部。2021年度関東学生ホッケー春季リーグ2部で優勝し、入替戦にも勝利し、25年振りに1部昇格を決めた。
  • 女子ラクロス部
2019年、第11回ラクロス全日本大学選手権大会で、創部初の全国優勝をした強豪チームである。

大学関係者と組織編集

大学関係者組織編集

  • 立教大学の同窓会として「立教大学校友会」が設置されている。校友会員数は2019年時点で約21万人。校友会会員相互の親睦を図り、立教大学の発展に寄与することを目的に、校友会報「セントポール」の送付や、会員総会、ホームカミングデー、年次別校友の集い、地区校友の集い、卒業祝賀パーティ、企業等立教会交流会などを開催している。「校友会奨学金」「校友会外国人留学生奨学金」などの各種奨学金による学生支援、「体育会活動奨励金」を通じて大学への支援も積極的に行っている。
また、全国と世界に「立教会」と呼ばれる校友組織が広がっており、各地域立教会と海外立教会に加えて、企業・職域の立教会、立教経済人クラブ、立教大学体育会OB・OGクラブなどが組織されている。
1907年(明治40年)に立教学院校友会が設立され、1939年(昭和14年)に立教大学同窓会として独立。1960年(昭和35年)に立教大学校友会と改称。以来、校友会は立教大学(立教学校、立教大学校、大阪英和学舎、立教専修学校、東京英語専修学校、立教工業理科専門学校および立教大学大学院)全卒業生・修了者で組織・構成されている。
1977年(昭和52年)11月に落成したセントポールズ会館は、校友各位の募金により建築されたもので、クラス会やOB・OG会の会場や恩師や友人との語らいの場として利用され、レストランとして日比谷松本楼の「立教大学 セントポール会館店」も置かれている。
  • 2016年には、立教生のキャリア形成支援を目的として、卒業生ネットワーク組織「立教グローバル/ローカルキャリア支援ネットワーク(GLCネットワーク)[7]」が発足。GLCネットワークの発足は、2024年の創立150周年に向けた中長期ビジョン「RIKKYO VISION 2024」で掲げたアクションプランのひとつで、グローバルあるいはローカルな視点から、立教大学および立教生を支える新たな支援層集団の創出を目指している。メンバーは、メーカー、金融、商社、マスコミ、外資系IT企業、地方公務員など多種多様な業界で活躍する卒業生である。GLCネットワークは、立教大学校友会や、学部・学科・ゼミナール、体育会OB・OGクラブなどの卒業生ネットワークを補完あるいは連携する形で、新たな活動を展開する。

大学関係者一覧編集

施設編集

キャンパス編集

 
池袋キャンパス第一食堂(東京都選定歴史的建造物)
 
立教学院諸聖徒礼拝堂/チャペル
(東京都選定歴史的建造物、池袋キャンパス)
池袋キャンパス(東京都豊島区西池袋3-34-1)
  • 学部(文学部、経済学部、理学部、社会学部、法学部、経営学部、異文化コミュニケーション学部)
  • 大学院(文学研究科、経済学研究科、理学研究科、社会学研究科、法学研究科、経営学研究科、ビジネスデザイン研究科、21世紀社会デザイン研究科、異文化コミュニケーション研究科、法務研究科(法科大学院)、人工知能科学研究科)
  • 交通アクセス
  • 池袋駅西口の商店街では立教大学のスクールカラーである紫のペナントが使用されている。
  • 池袋キャンパスはを絡ませた赤レンガの概観が特徴で、「本館」(別名モリス館)と「第一食堂」「2号館」「3号館」「メーザーライブラリー記念館本館(旧図書館本館旧館)」および「立教学院諸聖徒礼拝堂(チャペル)」は東京都選定歴史的建造物である。また、「メーザーライブラリー記念館新館(旧図書館本館新館)」は建築家丹下健三の設計である。
  • 独特の雰囲気から、映画やドラマのロケーション撮影によく利用される。
  • 立教大学は日本聖公会系であるため、キリスト教を信仰している立大生たちは、池袋に近い目白聖公会などにおいて、積極的に教会活動を行っている。無論、立大は積極的に学生たちの教会活動を支援している。
 
新座キャンパス
新座キャンパス(埼玉県新座市北野1-2-26)
  • 学部(観光学部、コミュニティ福祉学部、現代心理学部)
  • 大学院(観光学研究科、コミュニティ福祉学研究科、現代心理学研究科)
  • 交通アクセス
    • 志木駅南口より徒歩15分、スクールバス4分、西武バス<所沢駅東口行>または<清瀬駅北口行>「立教前」下車。
    • 新座駅南口より徒歩20分、スクールバス6分、西武バス<志木駅南口行(北野入口経由)>「立教前」下車。
  • 2006年に新座キャンパス全体がグッドデザイン賞建築・環境デザイン部門を受賞している。
陸前高田サテライト(陸前高田グローバルキャンパス)
田町サテライトキャンパス(キャンパス・イノベーションセンター東京)

スポーツ施設編集

池袋キャンパス内の主な施設
  • ポール・ラッシュ・アスレティックセンター
    地下2階地上5階建ての総合体育館。アリーナ、トレーニングルーム、ランニングコース、50メートル温水プール、屋上にはテニスコート兼フットサルコートなどが整備されている。館名は1925年に来日し、日本にアメリカンフットボールを普及させるとともに、戦後のスポーツ復興にも努めた元立教大学教授であるポール・ラッシュ博士に由来している。
新座キャンパス内の主な施設
  • セントポールズ・フィールド
    総面積約15,299m2の規模を誇り、400mトラックを6レーン(直走路8レーン)、跳躍場、投擲場、ラグビー・アメリカンフットボール兼用のインフィールド(人工芝)を備えた全天候型の陸上競技場。
  • セントポールズ・アクアティックセンター
    日本水泳連盟より、競泳用の国内基準プールとして公認されている室内温水プール。用途に合わせてレイアウト(50m×10コース、25m×8コース[2面])の変更が可能で、水深を6段階に設定することが可能。新座市民へも開放されている。
  • 野球部グラウンド
    1966年に完成し、8,400平方メートルの人工芝を備えた野球部の専用グラウンド。人工芝は明治神宮野球場と同じものである。近くには、硬式野球部の選手たちが生活する智徳寮や、人工芝が整備された全天候型の室内練習場も置かれている。
  • 体育館
    室内競技用のアリーナ5面を擁する巨大な体育館。トレーニング室、シャワー室、ボクシング場、レスリング場、土俵などの専用施設がある。
富士見総合グラウンド(埼玉県富士見市下南畑1343-1)
  • 野球場、テニスコート、アメリカンフットボール場、ホッケー場、サッカー場、ラグビー場、洋弓場、射撃場、自動車部ガレージ、馬場、馬術部部室棟、ポニーリンク、厩舎、トレーニング棟、クラブハウス、クラブハウスアネックスなど体育会各部専用の体育施設。

歴史資料館編集

 
旧江戸川乱歩邸 幻影城
立教学院展示館(池袋キャンパス内)
  • 立教の歴史と伝統、教育と研究の取り組みを発信する場として、2014年に開館。旧図書館の趣を残した2階の展示スペースでは、貴重資料の展示、タッチパネルディスプレーや映像、写真を通して、立教学院の歴史を学ぶことができる。
旧江戸川乱歩邸 ‐ 大衆文化研究センター(池袋キャンパス内)
  • 推理小説家江戸川乱歩が、1934年から移り住んだ邸宅、書庫として使われていた土蔵、および4万点近くの蔵書等が、2002年に立教大学へ譲渡され、2006年に江戸川乱歩記念大衆文化研究センターが設立。土蔵は豊島区指定有形文化財に指定。センターでは現在研究・保存を進めており、一般公開もされている。

その他施設編集

スタジオ棟(新座キャンパス内)
  • 広さ約200m2、照明下の高さ約5mを持つ映像制作のためのスタジオ。2面R仕様の白ホリゾント壁を設置し、5m×5mのクロマキー合成用のブルーバック幕を備えている。基本となる照明設備は備えつけで、本格的な映画・ビデオ・スチール写真などの撮影が可能。
ロフト教室(新座キャンパス 6号館内)
  • 最新の自動収納式の観客席(176席)を備え、舞台エリアではダンスや演劇の本格的な公演が可能。座席を収納すると約300m2のフラットな板張り空間としても利用できる。
シアター型教室(新座キャンパス 6号館内)
  • 4Kデジタルプロジェクターを備えたシアター型教室。デジタルシネマの最先端スペックを備えた上映用施設として利用される。

対外関係編集

海外拠点編集

  • 中国事務所(上海)
    • 上海市楊浦区国賓路18号 五角場万達広場A座20階 (株)GES 上海事務所内
  • 香港事務所
    • c/o Find Asia Limited,Suite 305, 3/F, Far East Finance Centre, 16 Harcourt Road, Admiralty, Hong Kong
  • ASEAN事務所(ジャカルタ)
    • Jl. Sawo Kecik I, Eramas 2000, Jakarta, 13950
  • ロサンゼルス事務所
    • c/o Takuyo Corporation (Lighthouse), 2958 Columbia Street, Torrance, CA 90503, USA
  • ニューヨーク事務所
    • Colleges and Universities of the Anglican Communion, 815 Second Avenue New York, NY 10017-4503, USA

国際交流編集

陸前高田プロジェクト
東日本大震災の被災地である陸前高田市でフィールドワーク(4泊5日)を行い同市の現状や課題を共有した上で、魅力を伝えるコンテンツを作成するという課題に取り組む課題基盤型学習(Project-based Learning)授業。国際化戦略「Rikkyo Global 24」の取り組みのひとつとして、海外からの留学生を含む立教大学生が、被災地の現状を広く知り、復興における課題の共有を通じて陸前高田市の復興支援に寄与していくことが目的。2015年度より、本授業の趣旨に賛同したスタンフォード大学から毎年学生が派遣されている。2018年度には立教大学へのインターンシップや学生交流で関係の深まった香港大学から、2019年度はシンガポール国立大学から学生が派遣され、4大学によるプロジェクトとなった。
延世・慶應・立教・復旦リーダーシップフォーラム
2002年サッカーワールドカップの日韓共催をきっかけとして、延世大学の発案により実現し、延世大学慶應義塾大学・立教大学の3大学が協力して始まったプログラム。グローバル化の進む社会で活躍するリーダー育成を目的として毎年開催されている。2006年度には、中国の復旦大学が加わり、東アジア地域の学生が集い、真剣に政治・経済・社会・文化を議論する貴重な機会となっている。

地方自治体との協定編集

  • 豊島区
    • 池袋キャンパスのある豊島区と「豊島区と立教大学による教育連携の協定」を締結、共同で「としま教育文化工房21」を設立するなど、豊島区と連携した様々な活動が行われている。
    • 帰宅困難者対策の連携協力に関する協定
    • 2020年東京オリンピック・パラリンピック事業における連携協力に関する協定
  • 新宿区
    商工施策に関する協定
  • 岩手県陸前高田市
    • 陸前高田市と立教大学との連携及び交流に関する協定書
    • 陸前高田市、岩手大学及び立教大学における地域創生・人材育成等の推進に関する相互協力及び連携協定書
  • 埼玉県新座市
    新座市と立教大学との連携協力に関する包括協定書
  • 埼玉県
    埼玉県と立教大学との相互協力・連携に関する協定書
  • 福井県福岡県福島県熊本県栃木県
    Uターン就職支援協定
  • 長崎県対馬市、長野県飯田市、北海道羅臼町、静岡県西伊豆町
    ESD研究連携に関する覚書
  • 茨城県境町
    研究連携に関する覚書
  • 山形県高畠町
    連携および交流に関する協定書

他大学との協定編集

系列、姉妹校編集

系列校編集

学校法人立教学院では、設置している教育機関を全て同格に扱っており、大学を頂点とする附属学校は設置していない。そのため、本節にてまとめている。

姉妹校編集

 
立教英国学院
Country House

学校法人立教女学院は同一人物によって設立されたことから基本的な信条を同じにしている。

関係校編集

立教大学はキリスト教の一派である日本聖公会に所属している。

社会との関わり編集

立教と映画編集

  • 立教大学は、多数の映画人を輩出してきた。1970年代から1980年代にかけて、大学の一般教養科目に「映画表現論」の講義があり、映画好きの学生たちは、講師をしていた蓮實重彦(のちの東大総長)に影響を受け、一定の思想性、党派性を持った活動を行った。サークル活動としては、映画制作サークルである立教SPP(セント・ポールズ・プロダクション)やSPPから独立した自主映画制作サークル「パロディアス・ユニティー」などがあった。
    一連の映画活動は、立教ヌーベルバーグともいわれ、日本映画に記憶を残す作品を発表する監督たちが多数卒業生の中から生まれている。当時の立教大学には映画関係の学部や学科がなかったにも関わらず、多くの映画人を輩出してきたのは蓮實重彦の影響力の大きさに加え、蓮實に呼応した学生たちの自主的な活動が生みだしたものといえる[149]
    2006年には、新座キャンパスに現代心理学部・映像身体学科が設置され、映画・映像制作が学べる環境が整っており、気鋭の若手映画監督も生まれている。

脚注編集

[脚注の使い方]

注釈編集

  1. ^ 1870年(明治3年)大阪・川口の与力町に設立した英語塾「のちの英和学舎」も、立教大学の前身の一つである。また、設立時期が現在のところ不明だが、明治初期に大阪の北浜にあった風雲館(1880年・明治13年に大阪・英和学舎と合併)も前身の一つとして考えられる。
    1874年(明治7年)に東京・築地外国人居留地に設立された立教学校は、開校当初、主教らの公的書簡では「Day school for boy」または「Boys school」などと記されていた[1]が、年末までには「立教学校」と命名された。
  2. ^ a b 立教大学校は、1883年(明治16年)に米国式カレッジとして東京・築地に設立され、東京大学とともに明治中期の日本を代表する最高レベルの高等教育機関である。角帽(モルタルボード型)を最初に着用して都内を闊歩したのは、立教大学校生といわれる。新校舎は美しい尖塔を有し、東京見物の人々も訪れるほどであったいう。カリキュラムはすべて英語の教科書を用い、教員もおもに外国人であった。
    当時、最高学府としての大学の名を有する高等教育機関は、1877年(明治10年)設立の東京大学と立教大学校のみで、「東京に大学校二あり、一は本郷に又た一は築地に在り」と呼ばれ、東京大学と立教大学校の二つをもって大学校の代表とし、日本屈指の教育機関であった。同時期、1877年(明治10年)に工学寮を改称して生まれた工部大学校(のちの東京大学工学部)もあったが、技術者養成の教育機関であった。また、1880年(明治13年)に開校した築地大学校も存在したが、1883年(明治16年)には横浜の先志学校東京一致神学校へ人材を供給することを目標に統合され、東京一致英和学校となり、大学という名称から変更している[2]。立教大学校は、国粋主義が広がり出したことによるキリスト教への圧力や、日本の教育制度の変更などから、その後カレッジ構想を断念せざるを得ない状況となったが、日本の教育制度に合わせる対応をするなど、障壁を乗り越え、日本での教育を維持した[3]
  3. ^ 東京六大学の括り自体は、日本に現存する大学野球の対校リーグ戦では最も古い東京六大学野球連盟を発祥とする。
  4. ^ 立教大学校時代には、教員はおもに外国人で、カリキュラムもすべて英語の教科書が利用されていた[2]
  5. ^ 例として、ウィリアムズ主教が卒業したウィリアム&メアリー大学でも、主専攻+副専攻(メジャー、マイナー)の学部課程履修プログラムが設けられており、文系科目、理系科目に問わず、多くの副専攻が用意されている[9]。また別の例として、コーネル大学では、主専攻とともに多くの副専攻が設置されているのに加え、2つの主専攻を学ぶdual-degree programs(2重学位プログラム)があり、従来の部門の境界を超える学際的な履修プログラムが設けられている[10]
  6. ^ 京都大学でも立教大学と同じく、創立以来「自由の学風」を基本理念に掲げている。研究の自由と自主の環境の中で、世界的な研究者を生み出してきた。
  7. ^ コロンビア大学でも学んだ元田作之進(立教大学の初代学長)は、立教中学の校長時代に、立教の教育の方針を「徳育に重きを置き、人格の完全した生徒を養成するといふこと」にあるとして、「聖書クラスなどが設けてあるとは云っても、これは生徒の徳育に資せやうとするので、如何してもこれに加はらねばならぬと云うものではない。生徒各自が宗教に就いての信仰を持つ、持たぬは各自の自由である。従つて普通の宗教学校にやうに、朝祈祷もせなければ礼拝も行はぬ。」と語っている[2]
  8. ^ 米国コネチカット州の伝統あるリベラルアーツ・カレッジのトリニティ・カレッジも立教大学と同じく米国聖公会によって設立された大学であるが、宗教的および学問の自由の原則に根差している。トリニティ・カレッジの憲章は、創立当時の宗教的多様性と寛容性と一致して、学生、教職員、または大学の他のメンバーに宗教的基準を課すこと禁じている。また、立教大学はトリニティ・カレッジと大学間協定を締結している。
  9. ^ 経営学部は、2006年に経済学部経営学科と社会学部産業関係学科を母体として開設された学部である。
  10. ^ a b 当時は「進学相談会 on Campus」という名称であった[31]
  11. ^ a b 琉球王国で伝道活動した英国聖公会のバーナード・ジャン・ベッテルハイムを日本における最初のプロテスタント宣教師とすることもあるが、琉球王国は1879年になって日本の沖縄県になることから、正式に日本ミッション開設のために米国聖公会から派遣されたジョン・リギンズチャニング・ウィリアムズを日本における最初のプロテスタント宣教師とする。
  12. ^ 米国コネチカット州の聖職者で、スコットランド聖公会によって主教に按手。
  13. ^ 新しい教会のための聖公会祈祷書の改訂版が書かれる。
  14. ^ ハリスは、ニューヨーク市立大学シティカレッジの創設者でもある。来日する以前の1846年にニューヨーク市教育局長となったが、その頃(1840年代)のニューヨークは人口増加にも関わらず、高等教育機関が2校しかなく、経済的に困難な移民や労働者階級の子弟にはほとんど教育の機会が与えられていなかった。ハリスは、ニューヨークの発展に寄与する人材育成を目指し、「社会に開かれた高等教育の場」を理念に、1847年に無償の学校であるニューヨーク市「フリーアカデミー」(現在のニューヨーク市立大学シティカレッジ)を創設する。当時、このハリスの挑戦に対し、貧困層への無料教育が役に立つのかと周囲の風当たりは相当強いものであったが、学校はのちにニューヨーク市立大学へ発展し、多数のノーベル賞受賞者も輩出することとなり、ニューヨークのみならず世界的にもハリスの功績は多大なものとなった。現在のニューヨーク市立大学シティカレッジの学生数は1万6千人ほどであるが、ニューヨーク市立大学群で見ると、学生数は50万人を超え、世界有数の大学群となっている。
  15. ^ 長崎奉行から奉行所の長崎通詞に英語の教授するように要請を受けたタットノール提督(Josiah B.Tatnall)は、英語教師としてヘンリー・ウッドを任命した。英語学校は、ポウハタン号艦上で開校。その後、ロシア交易場(Russian Bazaar) の2階の和室へ移った。カリキュラムは、英単語の発音から始まり、リーディング、文法と進み、算術、地理、天文学、キリスト教育など多彩な内容であった。学校名は母校のダートマス大学にちなみ、Dartmouth College, Juniorと命名した。
  16. ^ エドワード・サイル(米国聖公会)、サミュエル・ウィリアムズ(長老派教会)、ヘンリー・ウッド(米国オランダ改革派教会)の3名が長崎でオランダ商館長ドンケル・クルチウスとの会談を行ったことにより日本側の対応を知り、それぞれが所属する母国の伝道協会宛てに宣教勧告書簡を送り、日本に派遣する宣教師を任命するように促した[39]。3名の連名による書簡であったとする資料が多いが、連名による書簡ではなかったようだ。事実、ヘンリー・ウッドは、エドワード・サイルとサミュエル・ウイリアムズが長崎に来る前に、既に書簡を送っている[37]。また、サミュエル・ウイリアムズは宗派を超えて、米国聖公会へ向けて書簡を送っている[40]。ヘンリー・ウッドの宗派はオランダ改革派ではなく、当初は会衆派の牧師、のちに長老派の牧師であったとする資料もある[37]
  17. ^ ジョン・リギンズは日本における最初のプロテスタント宣教師とされるが、療養のため、チャニング・ウィリアムズより1ヵ月早く来日し、英語教師及び伝道師として精力的に活動したが、病気のため来日から1年も経たず1860年2月に日本を離れた。ウィリアムズも、リギンズとともに米国聖公会から同時に派遣を決定された人物であり、来日後長らく日本で活動したことから、日本における最初のプロテスタント宣教師である。リギンズとウィリアムズはヴァージニア聖公会神学校の同級生である[3]
  18. ^ 米国聖公会は同行する医療宣教師として、H.E. シュミットを人選する[42]
  19. ^ ミッションの場所はエドワード・サイルが推奨した長崎となる[38]
  20. ^ ウィリアムズは、サイルの家族の病気で、リギンズより日本への出発が遅れた[38]
  21. ^ フルベッキはオランダ改革派の宣教師として来日し、早稲田大学の建学の祖とされる人物。チャニング・ウィリアムズと親交が深く、子供たちはウィリアムズより洗礼、堅信を受け聖公会員となる。次男はチャニング・ムーア・ヴァーベックと命名(ウィリアムズは遺産の一部と金時計を与えると遺言状で指示)。二女のエマ・フルベッキは聖公会の婦人伝道師となり、立教女学院、立教学校で教えた[44][45][46]
  22. ^ フルベッキはリギンズ、ウィリアムズと同居した後、住居が見つかり、近くの崇福寺広福庵に移る。
  23. ^ ウィリアムズは、長崎の漢方医、笠戸順節や佐賀藩の碩学、谷口藍田と交流している。笠戸順節は、漢文に長けた人物で、リギンズ、ウィリアムズ、フルベッキに、日本語や日本に関する書籍を供給した。リギンズ、ウィリアムズは中国で漢文を習っていたため、笠戸とコミュニケーションが取りやすかったと思われる。笠戸順節は、シーボルトにも資料を提供していたとされる。
    ウィリアムズは、谷口藍田に英語や海外事情を教え、藍田からは和漢の学について教えを受けたという。谷口藍田は東京専門学校(のちの早稲田大学)でも教鞭をとっている[47][48]
  24. ^ シュミットは来日してから2か月後には診療を開始している。翌年7月に東山手居留地四番館に引っ越した際には、診療所が整備されたと考えられる。
  25. ^ ウィリアムズは東山手居留地の五番館に住んだ。シュミットの住む四番館に隣接する三番館には幕府の「済美館」と佐賀藩の「致遠館」で英語などを教えるフルベッキが居住していた。また、現在の東山手にはC.M. ウィリアムズ宣教師館跡の石碑が建てられている。
  26. ^ 何礼之、平井義十郎などの唐通事たちが世話人となっていた。ウィリアムズやフルベッキも英語を教えたと考えられる。
  27. ^ 高杉晋作はチャニング・ウィリアムズから「アメリカでは、階級間に差別がなく一般人から大統領が生まれ、また大統領も、辞めれば一般人となること」など欧米の状況を聴き、知識を学ぶ。(これが奇兵隊の発想の元にもなったと言われる。)[56]
  28. ^ チャニング・ウィリアムズの元で学んだ大隈重信は早稲田大学を設立し、前島密は早稲田大学(当時東京専門学校)校長を務めており、ウィリアムズが設立した立教大学と教え子が設立した早稲田大学は歴史的に深い関係がある。大隈重信はアメリカ独立宣言を知り、その後の人生に大きな影響を受けたが、アメリカ独立宣言の起草者であるトーマス・ジェファーソンはウィリアムズが卒業したウィリアム・アンド・メアリー大学の卒業生であり、大隈にアメリカ独立宣言を最初に教えたのはウィリアムズであった可能性が高い。前島密はチャニング・ウィリアムズから郵便制度についても学び、後に日本の近代的郵便制度の基礎確立につながった[56]。また、早稲田大学建学の祖であるフルベッキとウィリアムズは深い親交で結ばれた盟友であった。
  29. ^ 土地は928坪、借地名義人は英国領事モリソン、所要経費は整地費を含め銀1782分。ジョージ・スミス主教の寄金と居留外国人の献金によって献堂された。
  30. ^ 荘村助右衛門は肥後藩士で、長崎でウィリアムズに学んだ。1866年(慶応2年)2月 - にはウイリアムズより洗礼を受ける(日本における聖公会初の受洗者)。荘村は、藩では兵学者で西洋流砲術、洋式操練の研究担当し、佐久間象山の塾や、長崎海軍伝習所で学んだ。ウィリアムズからは軍事書を手に入れたほか、フルベッキグラバーに加え桂小五郎坂本龍馬とも親交を持ち、坂本龍馬とは肥後藩を薩長同盟に参加させようと画策した[58][56]
  31. ^ ウィリアムズは、1868年11月には住む場所を探すため大阪に来ていた[64]。フルベッキも1868年10月に大阪を訪れており、ウィリアムズとフルベッキは大阪でも親密に情報交換をしていたと考えられる[63]
  32. ^ 与力町は、川口居留地に程近い雑居地(のちの本田三番町付近、現在の川口3丁目付近)にあった。川口居留地は、当初わずか26区画しかなく、競売で土地を落札することができなかった外国人は隣の梅本町、与力町等の雑居地に住むようになった[66]。そのため、ウィリアムズは当初、与力町に居を構えたと考えられる。
  33. ^ アーサー・ラザフォード・モリスは米国聖公会の宣教師で、立教大学池袋キャンパスの本館(1号館)はモリスが遺した寄付により建てられたことから、「モリス館」とも呼ばれ、立教大学のシンボルになっている。
  34. ^ 午後2時間のみの男子学校[3]で、英語に加えて数学や理化学なども教える私塾として開設。ウィリアムズは数学、理化学を教えた。また、ウィリアムズが担当する聖書は選択であったが、初級クラスは全員が履修し、上級生も多数が履修した。
  35. ^ 築地の外国人居留地にあった詩人ヘンリー・ロングフェローの子息邸を借用して塾を開設した。
  36. ^ ウィリアムズが最初に任命した実際の初代校長はジェームズ・ガーディナーである。ブランシェ(初代立教学校長)やクインビー(立教学校長)は、統括者ウィリアムズが不在時の主任者として位置づけられる[70]
  37. ^ 先に来日(1872年)して指導していたJ.H. クインビー夫人の生徒3名を引き受けた。
  38. ^ この改称と同時に学校の場所を川口居留地14番に移したと考えられる。照暗女学院は、1879年6月には川口居留地6番の元オーサカホテルを購入し移転[64][65]
  39. ^ 平安女学院が日本で初めて制服にセーラー服を採用した学校である。
  40. ^ 明治8年、照暗女学校のミス・エディの記録では、生徒に讃美歌を歌わせているとき、日本の子供たちはオルガンのどこから音が出るのか不思議がっていたという[72]
  41. ^ 立教女学校は、1877年(明治10年)6月に、湯島4丁目(神田明神下とも)にあったブランシェ夫妻の仮住居で始められた生徒わずか5名の私塾として開始。初代校長はブランシェ(ブランシェ夫人だと思われる)。米国聖公会から派遣され、来日したばかりの宣教師ミス・フローレンス・ピットマンがブランシェの働きを支え、生徒数は15名となり、2代目校長を務める。学校創設当初、設置場所が居留地外であったので、外国人教師は校主、若山儀一に雇用されるという形をとっていた。
    立教女学校は翌1878年(明治11年)には神田川を渡った神田駿河台東紅梅町(現神田淡路町)のブランシェ夫妻の新居に移る。ピットマンも同居した。
    さらに生徒数が21名に増えたことから、1879年(明治12年)12月に隅田川に近い築地(京橋南小田原町「現中央区築地7丁目」)へ移っている。
    1882年(明治15年)には、ピットマンは立教学校の校長として築地の校舎などを設計したガーディナーと結婚。生徒数は35名となり、同年6月には、ガーディナー夫妻が住む築地居留地26番の住居の2部屋が女学校の教室として使用された。
    1884年(明治17年)にはガーディナーの設計で、築地居留地内26番に念願の新校舎を建設。校舎は洋風三階建ての美しい建物で、居留地内でも評判の建物であったといわれている。
  42. ^ ウィリアムズは度重なる校舎の損失を踏まえ、米国聖公会に、建築家で、文学と化学にも造詣が深い人物の派遣を要請し、ジェームズ・ガーディナーが人選された[3]
  43. ^ 風雲館は立教大学の源流の1つと考えられる。日本英文学会の会長を務め、同志社でも教鞭ととった清水泰次郎の経歴によると、明治10年11月より明治11年9月まで、「大阪の北浜風雲館にて独逸学・漢学を修めた」とあり、風雲館は、当時大阪・北浜にあり、独逸学・漢学も教えていたことがわかる。清水は明治11年11月より明治12年3月までは、風雲館の館主中島氏の請求に応じ英学部の教頭になっており、風雲館は館長が中島氏という人物で英学部も設置していたことがわかる。明治14年7月より明治16年12月までは、大阪川口の英和学舎で論理心理学を講授するとあり、英和学舎では論理心理学も教えていたことがわかる。出典資料の付記によると、「明治十年以降、大阪に於て北浜風雲館英語部教頭、英和学会教頭、ヘール氏塾(ウィルミナ女学校・現大阪女学院)主任、照暗女学校(平安女学院前身)教頭を歴任し、なお関西英学校、開成学館、専修学校の教頭を兼ね、私立日本英文学会を創立しその会長となる。」とあり、清水は風雲館だけでなく、英和学舎でも教頭を務めたことがわかり、立教創設期での関わりが大きい。また、清水は英国留学で休職する第五高等学校(現熊本大学)教授であった夏目漱石の後任として第五高等学校で教授を務めた[79]
  44. ^ 英和学舎は天文学、生理学、論理学、歴史学、本草学(医薬に関する学問)など高度な学問を教授し、のちに立教大学の初代学長となる元田作之進、日本聖公会大阪教区主教となった名出保太郎、南海鉄道の社長を務めた大塚惟明などの人材を輩出した[64]
  45. ^ ケンブリッジ大学を優秀な成績で卒業したロイドは、学士、文学修士を取得、15か国語に通じていたといわれ、来日わずか7か月目には早くも日本語で説教をおこなっている。福澤諭吉から慶應義塾の教員のなかで唯一真の学者と当初から認められていたロイドは、慶應義塾で11年にわたり(1885年-1890年、1893年-1898年、1904年)教鞭をとった[81]
    慶應義塾で教えるかたわら、福沢諭吉はロイドに三田キャンパス内の西洋館を与えるなど厚遇し、ロイドは慶應義塾の敷地内に喜望教会を創設した。福沢諭吉と聖公会の関わりは、英国聖公会福音宣布教会(SPG)の宣教師アレクサンダー・クロフト・ショーとの関わりからあり、福沢の三女と四女と孫の清岡暎一(慶應義塾大学名誉教授)は日本聖公会の信徒となっている[82][83]
  46. ^ 聖別式には日本人を中心に700人が出席した。音楽を担当したのは、フルベッキの二女エマとミセス・フォールスだった。エマは築地の立教女学院でも音楽を教えていた。大聖堂は、ゴシック様式、身廊の長さは78フィート(約26メートル)、フランス製のステンドグラスがあり、塔の高さは地上から51フィート(約17メートル)だったという。オルガン部屋はコワイヤー(聖歌隊席)の北側にあって11×12フィートだったと記録されている。ガーディナーは日本音楽協会会員でもあったので、音楽的にも注意が払われていたらしく、その音響効果は立派だったと記録されている[85]
  47. ^ ルドルフ・トイスラーは米国聖公会の宣教医で、聖路加国際病院の設立者。1927年から1934年まで立教の経営法人の理事を務めた。
  48. ^ 八代斌助は、イギリス国王ジョージ六世あての天皇陛下のメッセージを伝達し、ロンドンで開催された全世界の聖公会の会議であるランベス会議に出席した。
  49. ^ ビル・ゲイツ氏は、「今日は名誉ある博士号授与だけでなく、皆さんとの対話を楽しみにして来た。私自身は大学を卒業できなかったのでうれしい。父は喜ぶだろう。」と講演の冒頭で語った。
  50. ^ 2009年(平成21年)の創立135周年を機に、立教学院各校のシンボルデザインの一体化を図り、現在の2色のデザインが基本デザインとなった。チャペルのステンドグラスにある楯のマークなど別のカラーリングのデザインもある。当初のデザインは、紫・白・金の3色によるデザインで、金色は「真正の価値」を表している[136]
  51. ^ ムラサキの花自体は白色だが、根は古くから紫色の染料として用いられてきた。紫色とはもともとムラサキの根を原料として染め上げた色である。
  52. ^ 1914年(大正3年)に創建された東京駅丸の内駅舎は、辰野金吾により設計され、その堂々たる姿で、多くの人々に愛されてきた。1945年(昭和20年)、戦災により南北のドームと屋根・内装を焼失。戦後、3階建ての駅舎を2階建て駅舎で復元し長らくそのままの建物であった。しかし、2017年に、戦災で失われた箇所を復元し、創建当時の美しい3階建てのレンガ造りの姿が見事に再現された。特にドーム部分の復元は大きな話題となった[139]
  53. ^ 専門科目群として、言語研究関連科目群、通訳翻訳研究関連科目群、コミュニケーション研究関連科目群、グローバル・スタディーズ研究関連科目群がある[広報 3]。また、2012年度以降の入学生に対しては、選択科目の領域専門科目として、複合地域文化領域、異文化コミュニケーション領域、言語教育領域がある[広報 4]
  54. ^ 学科選択科目は「公共サービスと生活」「競争と規制」「グローバル化と地域」「政策関連科目」に分かれている[広報 5][広報 6]
  55. ^ 学科選択科目は「アカウンティング」「ファイナンス」「マネジメント」がある[広報 5][広報 6]
  56. ^ 選択科目の一つで、2年次から始まるコンセントレーション科目は、マーケティング領域、マネジメント領域、アカウンティング&ファイナンス領域、コミュニケーション領域に分かれている[広報 7]
  57. ^ 代数系研究室、解析系研究室、幾何系研究室、計算数学系研究室がある[広報 8]
  58. ^ 理論物理学研究室、原子核・放射線物理学研究室、宇宙地球系物理学研究室がある[広報 8]
  59. ^ 教員は「反応解析化学グループ」「構造解析化学グループ」「物性解析化学グループ」に分かれている[広報 8]
  60. ^ 分子生物学系の研究室、生物化学系の研究室、分子細胞生物学系の研究室がある[広報 8]
  61. ^ 「社会学部共通・社会学科科目」や「学科展開・自由科目」は「理論と方法」「自己と関係」「生活と人生」「公共性と政策」「構造と変動」の5領域に分かれている[広報 9]
  62. ^ 「社会学部共通・社会学科科目」や「学科展開・自由科目」は「価値とライフスタイル」「環境とエコロジー」、「グローバル化とエスニシティ」「都市とコミュニティ」の4領域に分かれている[広報 9]
  63. ^ 「社会学部共通・社会学科科目」や「学科展開・自由科目」は「情報社会」「マス・コミュニケーション」「メディア・コミュニケーション」の3領域と、「メディア実習科目群」に分かれている[広報 9]
  64. ^ 専門科目は、(1)理論・制度・サービスの理解、(2)援助の方法や技術の理解、(3)実習・演習等による理解という3つの柱に基づき配置[広報 10]
  65. ^ 専門科目は「コミュニティ政策学」領域、「コミュニティ形成学」領域、「コミュニティ人間学」領域の3つの教育研究領域を柱に配置[広報 10]
  66. ^ 専門科目は「健康運動」領域、「スポーツパフォーマンス」領域の2つの教育研究領域を柱に配置[広報 10]

出典編集

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    私立学校ニ於テハ自今明治32年文部省訓令第12号ニ拘ラズ法令ニ定メラレタル課程ノ外ニ於テ左記条項ニ依リ宗教上ノ教育ヲ施シ又ハ宗教上ノ儀式ヲ行フコトヲ得
    1. 生徒ノ信教ノ自由ヲ妨害セザル方法ニ依ルベシ
    2. 特定ノ宗教教派等ノ教育ヲ施シ又ハ儀式ヲ行フ旨学則ニ明示スベシ
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  127. ^ 野球部紹介|立教大学野球部
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  132. ^ a b c “立教大、法科大学院募集停止”. 朝日新聞 (朝日新聞社): p. 朝刊 37. (2017年5月27日) 
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  135. ^ 陸前高田グローバルキャンパス(2020年5月24日閲覧)
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  139. ^ 東京駅丸の内駅舎保存・復原工事
  140. ^ 東京都景観計画 第3章 第3歴史的建造物の保存等による景観形成
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  145. ^ NHKニュース『おはよう日本』”. 2018年5月29日閲覧。
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  147. ^ 立教スポーツ『【相撲部】どすこい!半世紀ぶりの快挙だ!』”. 2019年4月3日閲覧。
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  149. ^ 立教での出会いがその後の人生を決定付けた 映画監督 黒沢 清

広報資料・プレスリリースなど一次資料編集

  1. ^ 立教大学校友会 立教タイムトラベル 第48回「1956(昭和31)年、セントポール・グリーンハイツ完成」
  2. ^ 立教大学陸前高田サテライト(2020年5月24日閲覧)
  3. ^ 2016年入学生用の「大学案内」[1]「異文化コミュニケーション学部案内」[2]による
  4. ^ 履修要項[3]による
  5. ^ a b 2016年入学生用の経済学部案内[4]による
  6. ^ a b 履修要項[5]による
  7. ^ a b 履修要項[6]による
  8. ^ a b c d 2016年入学生用の理学部案内[7]による
  9. ^ a b c 履修要項[8]による
  10. ^ a b c 履修要項[9]による

関連文献編集

  • 立教学院百年史編纂委員会 『立教学院百年史』 学校法人立教学院、1974年
  • 立教学院百二十五年史編纂委員会 『立教学院百二十五年史 図録:Bricks and Ivy』 学校法人立教学院、2000年

関係プロジェクトリンク編集

外部リンク編集