繡州(しゅうしゅう)は、中国にかつて存在した唐代から北宋初年にかけて、現在の広西チワン族自治区貴港市南東部に設置された。

概要

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621年武徳4年)、唐により鬱林郡阿林県林州が置かれた。林州は常林・阿林・皇化帰誠羅繡盧越などの県を管轄した。623年(武徳6年)、林州は繡州と改称された。742年天宝元年)、繡州は常林郡と改称された。758年乾元元年)、常林郡は繡州の称にもどされた。繡州は嶺南道の桂管十五州に属し、常林・阿林・羅繡の3県を管轄した[1]

972年開宝5年)、北宋により繡州は廃止された。常林・阿林・羅繡・欣道渭竜の5県が廃止され、容州普寧県に編入された[2]

脚注

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  1. ^ 旧唐書』地理志四
  2. ^ 宋会要輯稿』方域七