職業

その人が従事する活動に基づくラベル

職業(しょくぎょう、: 主にoccupation、他にprofessionやvocationなど[1])は、生計を維持するために、人が日々従事する仕事[2][3]。社会的分業の成立している社会において生活を営む人々が、それにつくことによって、その才能と境遇に応じた社会的役割を分担し、これを継続的に遂行し実現しつつ、その代償として収入を得て生活に必要な品々を獲得する、継続的な活動様式[1]生業すぎわいせいぎょう、なりわい)とも。短くしょくとも。

あえてわざわざ「職業」と言う場合は、「仕事」という表現とは区別して使われていると考えてよい。つまり辞書類の定義文でわざわざ「日常」という語を入れていたり日本大百科全書の定義文でわざわざ<継続>という言葉が入れられているように、<継続性>は職業であることの重要な要件のひとつであり、仕事のうち継続性を備えたものだけを職業と呼んでいる。継続性の無いもの、たとえば「一生でただ一度だけ、単発でペンキ塗りを頼まれて、1~2日でそれを行い、何がしかの報酬をもらった」とか、「一生で5~6度だけ、機械修理を頼まれてそれを行って、それなりの報酬をもらった」とかいったようなことは「仕事」とは呼べるが「職業」とは呼べない。

ひとが職業を持つ目的のひとつは<生計を立てること>であり、つまり生活するのに必要な衣食住などの物資やサービスを得るためである。なお現代であれば主としてそれを得るために必要な金銭を得るためになされていて、被雇用者の場合は主としてそれを給与の形で得ており、個人事業主(自営業)の場合は収益から必要経費類を差し引いた利益 の形で得ている。一方、農業漁業を行っている人の場合は、自身が収穫した農産物海産物が、そのまま自身や家族の食料となる部分もあり、必ずしも生活に必要なものを貨幣経済制度を利用して得ているわけではない。また企業で雇用されている人でも社宅などを提供されて貨幣を経ないで得ている場合やこまごましたものを<現物支給>されている場合もある。

ほかにも「職業」は、才能と境遇に応じた社会的役割も備えた場合を呼ぶような場合や、あるいはそれよりもかなり上質の概念を指している場合もある。特にそれを指すために特定の表現で呼ぶ場合がある。英語では職業を指す表現には「オキュペーション occupation 」や「プロフェッション profession」や「ヴォケーション vocation」があり、それらの中ではオキュペーションが一番ありきたりの表現であり、オキュペーションと言うと、日々携わっている、という概念に焦点を当てた用語である。英語の「オキュパイ occupy」[1](占める)という動詞と同系統の表現であり、つまりその人の日々の時間がその活動で占められている、その人は毎日それで手一杯になっている、というニュアンスが含まれている。「プロフェッション」はプロという概念と同系統の用語である。「ヴォケーション」は、語源的には「to call」であり[2]、日本語で言うと「呼ぶこと」「お呼び」という意味の表現であり、一部の人に見られるような、まるで神から「お呼び」がかかるようにして行う日々の仕事であり、その人はその仕事をするためにこの世に生まれてきたのではないかと思えるような仕事のこと、日本語で「天職」と呼ばれているようなものを指すための用語である。

歴史編集

人間社会の中では、まず食料の収集、栽培、収穫に携わる、狩猟農業漁業といった第一次産業が職業として誕生し、そして食品の加工から、その運搬、交換として経済活動に関係した職業が始まり、工場制手工業などの産業革命により、工場労働、労働管理といった新たな職業(第二次産業)が近代の職業を彩った。

19世紀から20世紀にかけては、さらにサービス業や知的専門職といった第三次産業に属する職業がさらに発展した。

職業の役割編集

職業は生活を支えているだけではなく、それに従事する各人の精神的な支えともなっている事が多い。それは、職業上高い地位を得た者だけが享受しているのではない。職業に従事できている、経済的に自立している、という事自体が、無意識的ではあるものの個人の尊厳を支えている面があるのである。このため、職業を失ってしまうこと(失業)は、経済的な面だけでなく、精神的な面にも悪影響を及ぼし、うつ病自殺の要因・誘因となる事も稀ではない。

そのため、政府は、経済的な観点からだけでなく、国民の(心の)健康の維持のためにも、失業率を低く抑えるようにつとめるべきだということは言われている。WHOの健康の定義にも、精神的な要素に加えて、経済状況の要素が盛り込まれている。

職業を得る道筋編集

人が職業を得る道筋はさまざまである。 家業をつぐことで職業を得る場合もあるし、同族経営に参加することで職業を得る場合もあるし、誰かに雇われること、被雇用者となることで職業を得る場合もあるし、自分で起業することで職業を得る場合もある。

統計的に見てそれなりに割合が高いパターンとして親などが家業や家族経営を持ったり行っている場合を説明すると、これもいくつかのパターンがある。一族が家業を持っている場合は自然な流れで、家業の場で一種の「修行」のような形で、家業の訓練、職業の訓練を行うことになり、そうして職業を得てゆくことになる。また親や祖父母などが家族経営、同族経営などでビジネスを行っている場合も、いくつか経路はあるが、多くの場合、最初は現場を知るために従業員として経験を一定程度積み、やがてそのビジネスの経営陣の中に加わってゆく形で次第に経営者という職業を得てゆくことになる。

アメリカでは優秀な人々は、誰かに雇われることを良しとせず、学生の段階で小さなビジネスを起業しそれを成長させ法人化し、その会社の経営者となってゆくというパターンも増えている。その場合、経営者であること、経営者として自分の会社を経営し従業員を率いてゆくことがその人の職業である。

当人の家族に家業もなく親が家族経営・同族経営をしておらず当人が学生時代に起業もしない人の場合、職業を得たい場合は就職活動を行う必要がある。この場合、就職活動を行わないと通常は無職状態になる。

就職活動のありかたは、世界の国々によってかなり異なっている。フランスでは学生をしつつ企業でインターンをするのが当たり前と見なされていて、インターンをしなければ就職もできない。ドイツなどでは、かなり若いころに2つの経路のうちどちらを選ばせる。すなわち若いうちから職能を身に付ける、つまり「職人」的な道へと進むか、それとも、大学などの高等教育を受ける道を進むか、どちらをとるかしっかり選ばせるシステムになっており、職人的な道のほうは、一週間を曜日で分けて、働きつつ教育も受けるという、デュアルシステムを特徴としている。日本の就職活動の状況は、就職率などを見ると、世界的に見てかなり特殊な状況である。

就職の機会を若いほうから挙げてみると、小学生などの段階でもすでにあり、たとえば芸能事務所に所属し子役俳優の仕事を得て繰り返し収入を得ている人は小学生の段階ですでに職業を得ていることになる。次に中学生の段階でも就職の機会があり、続いて高等学校在学中、それに続いて短大高専専門学校大学在学中、それに続いて大学院在学中などが主な機会である。また一旦就職した人がその仕事を失い再度就職することもある(再就職という)。いちどは他人が経営する会社で被雇用者となった人が親が高齢化した段階で自分の家の家業を継ぐ決断をし、会社を退社して自営業者や経営者になる形で転職する人も統計的に見てかなりいる。日本では俯瞰して統計的に言えば、高校卒業後・高専卒業後・短大卒業後・大学卒業後などに就職している割合が高い。

好景気期には、いわゆる「売り手市場」となり就職は比較的容易になる傾向があり、不景気期にはいわゆる「買い手市場」となるため就職が困難になる傾向がある。

職業とワークライフバランス編集

ワーク・ライフ・バランスとは日本語では「仕事と生活の調和」とも表現されるものである。職業人としての時間と、家庭人(あるいはひとりの人間)としての時間のバランスのことである。

一部の例外を除いて、ほとんどの職業(仕事)には何らかのストレスがつきまとっている。適度なストレスはそれを克服しようとする個人の人間力や能力の拡大を促すきっかけとなるが、過度のストレスは体調・健康に悪影響が出る。ストレス対策には、「気持ちの切り替え」をうまく行なったり「心のゆとり」を持つことが有効である。過剰な残業休日出勤精神疾患の温床となることは指摘されている(起きている時間のほとんどすべてが職業のための時間となると、ストレスが大きくなりすぎるのである)。職場を離れた場で、友人と本音で話しあったり、家族と気持ちを通わせたり、気分のリフレッシュにつながる趣味の時間を持つことは、人が健康でいるためには必要であることは言われるようになり、過度な残業・休日出勤をさせ従業員の健康を害した企業は賠償請求をされるケースも出てきている。そのため残業・休日出勤を減らす工夫をする企業も次第に増えてきている。

脚注編集

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注釈
出典など
  1. ^ a b 『日本大百科全書』職業
  2. ^ 『大辞泉』職業
  3. ^ 「日常従事する業務。生計を立てるための仕事」『広辞苑』職業

関連項目編集