興聖寺 (京都市)

臨済宗興聖寺派大本山

興聖寺(こうしょうじ)は、京都市上京区にある臨済宗興聖寺派本山の寺院である。山号を円通山と号する。本尊釈迦如来虚応円耳が創建した。1953年(昭和28年)までは相国寺派に属した。絵師・曾我蕭白とその一族の菩提寺。茶人・古田織部の妻センが隠棲した北野天満宮隣りの青霄院がセンの死後移転して興聖寺の一塔頭となり、その後、豊後岡藩家老・古田家が織部の墓を建てた関係で、昭和になって「織部寺」と呼ばれるようになった。これは当時の住職・日種譲山の働きかけによるものだが、当寺と古田織部との関係を示す記録は一切ない[注釈 1]

興聖寺
Kosho-ji Temple 140516NI1.JPG
所在地 京都府京都市上京区堀川通寺之内上ル二丁目上天神町647
位置 北緯35度2分10.9秒 東経135度45分0.4秒 / 北緯35.036361度 東経135.750111度 / 35.036361; 135.750111座標: 北緯35度2分10.9秒 東経135度45分0.4秒 / 北緯35.036361度 東経135.750111度 / 35.036361; 135.750111
山号 円通山
圓通山
宗旨 臨済宗禅宗
宗派 臨済宗興聖寺派
寺格 本山
本尊 釈迦如来
創建年 慶長8年(1603年
開基 虚応円耳(開山)
別称 織部寺
文化財 曾我蕭白筆 寒山拾得図(重要文化財)ほか
法人番号 1130005001137 ウィキデータを編集
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歴史編集

世良田(現群馬県太田市)の長楽寺出身の禅僧・虚応円耳が文禄年間(1592 - 1595年)に開いた大昭庵という小庵を前身とする。慶長8年(1603年)、虚応が創建。後に後陽成天皇および後水尾天皇の勅願所となる。当初は顕密兼修の寺院であったが、元禄14年(1701年)に禅宗寺院となる。天明の大火(1788年)で焼失するが、その後再興された。本堂には本尊釈迦三尊像のほか、愛宕神社旧本地仏の地蔵菩薩像(勝軍地蔵)、藤堂高虎寄進と伝える達磨像などを安置する[1]

文化財編集

重要文化財編集

  • 紙本墨画 寒山拾得図 曾我蕭白
  • 絹本著色 兜率天曼荼羅図

脚注編集

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  1. ^ 『昭和京都名所図会 5 洛中』、p.175; 『京都の禅寺散歩』、pp.263 - 265

注釈編集

  1. ^ 『加茂町史』第2巻近世編52頁には、「開基にあたって織部とのかかわりを記したものは、明治元年の『由緒』のほかにはなく、木像や画像とて近世(江戸時代)後期のもので、近世初頭までさかのぼって織部とつながるのかは、明らかでない」とある。

参考文献編集

  • 竹村俊則『昭和京都名所図会 5 洛中』、駸々堂、1984
  • 竹貫元勝『京都の禅寺散歩』、雄山閣、1994
  • 『加茂町史』第2巻近世編

外部リンク編集