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舟越 桂(ふなこし かつら、1951年5月25日- )は、日本彫刻家である。岩手県盛岡市出身[1]。父・舟越保武も彫刻家。姉は株式会社すえもりブックス社長の末盛千枝子(すえもり ちえこ、1941年 - )。弟の舟越直木も彫刻家。

舟越 桂
生誕 (1951-05-25) 1951年5月25日(68歳)
岩手県盛岡市
国籍 日本の旗 日本
出身校 東京芸術大学大学院美術研究科彫刻専攻修了
著名な実績 彫刻家
公式サイト www.katsurafunakoshi.com

小学3年生のころには父と同じように彫刻家になることを漠然と意識していた[2]。学生時代(高校生時代)はラグビーの練習に明け暮れていたが、美術予備校の夏期講習に参加したことで彫刻家になる意思を固めた[2]。浪人して東京造形大学彫刻科に入学したが、大学3年時には高校生時代のラグビー熱が再燃し、大学でラグビー部を立ち上げている[2]

その作品は多くの美術館に展示されているほか、国際的な現代美術展への出展も多い。また、書籍装幀などに作品が使用されるなど、その作品は多くの人々の目に触れている[要出典]1989年より、母校である東京造形大学において客員教授を務めている。

略歴編集

画像外部リンク
  『傾いた雲』(1988年)
国立国際美術館所蔵(独立行政法人国立美術館)
画像外部リンク
  『銀の扉に触れる』(1990年)
国立国際美術館所蔵(独立行政法人国立美術館)

作風編集

1977年、東京芸術大学の大学院生のとき、函館のトラピスト修道院から2メートル以上ある「トラピストの聖母子」の制作を依頼された。 その際、大学の長沢市郎先生からアドバイスを受け楠という素材に出会った。 硬さがちょうどよく、彫る速度が自分にあっている。「運命的な出会い」と舟越は語っている。 [5][6][7]

木彫による半身像は1980年に製作した「妻の肖像」が最初である。 [8]

目は、材質に迷っていたとき、父親のアトリエにあった大理石を使用したのが始まりである。 半球の大理石をコーティングして光らせ、竹の釘で留めたあと接着剤で補強する。 これは鎌倉時代の技法をアレンジしたものである。 [9][10]

脚注編集

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  1. ^ a b c d e f g h 「舟越桂」『日本大百科全書』小学館
  2. ^ a b c 舟越桂 インタビュー Gallery Tagboat
  3. ^ a b 「通訳のいらない木彫 舟越桂」『芸術新潮』1989年1月号、p.84
  4. ^ 春の褒章、705人24団体が受章:社会:YOMIURI ONLINE(読売新聞)
  5. ^ "水のゆくえ 舟越桂作品集" p.133
  6. ^ "生の科学、死の哲学 養老孟司対談集" p.95
  7. ^ "ヤン・ファーブル×舟越桂" p.177
  8. ^ "舟越桂全版画 1987-2002"p.133
  9. ^ "生の科学、死の哲学 養老孟司対談集" p.99-100
  10. ^ "舟越桂全版画 1987-2002" p.136

参考文献編集

  • 「水のゆくえ 舟越桂作品集」1995 京都書院 
  • 「生の科学、死の哲学 養老孟司対談集」2004年 清流出版 
  • 「ヤン・ファーブル×舟越桂」2010 淡交社 
  • 「舟越桂全版画 1987-2002」2003 青幻舎

外部リンク編集