若原 観瑞(觀瑞、わかはら かんずい、1858年安政5年8月[1][2]) - 1937年昭和12年)12月24日[2])は、日本政治家衆議院議員(1期)。

経歴 編集

伯耆国河村郡(のち鳥取県東伯郡長瀬村羽合町、現・湯梨浜町)生まれ[1]漢学、政治経済学を学び、本派本願寺大教校(現・龍谷大学)で仏教学を学ぶ[2]。宗規により僧籍に入り、仏教連合会組織のため力を尽くした[1][2]

1890年第1回衆議院議員総選挙において鳥取2区から保守党所属で立候補するが落選した[3]1892年第2回衆議院議員総選挙で独立倶楽部から立候補して当選した[4]1894年3月の第3回衆議院議員総選挙では国民協会から立候補して落選した[5]。同年9月の第4回衆議院議員総選挙では保守党から立候補して落選した[6]1898年第5回衆議院議員総選挙では進歩党から立候補して落選した[7]。衆議院議員を1期務めた。1937年に死去した。

脚注 編集

  1. ^ a b c 衆議院 編『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第202回』衆議院事務局、1940年、498頁。NDLJP:1278238 
  2. ^ a b c d 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』720頁。
  3. ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』5頁。
  4. ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』10頁。
  5. ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』16頁。
  6. ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』22頁。
  7. ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』28頁。

参考文献 編集

  • 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年。
  • 日本国政調査会編『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』国政出版室、1977年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。