英英辞典

英語の見出し語に英語で解説を付けた辞典

英英辞典(えいえいじてん、英語: English-English Dictionary)または英語辞典(えいごじてん、英語: English dictionary)は、英語の単語を英語で定義し、説明している辞典である。

オックスフォード現代英英辞典

概要編集

英英辞典は英語話者にとっての国語辞典である。その点からいえば、英語を母語とする者にとっては単に英語辞典である。英語圏に属さない日本においては、外国人学習者向け英英辞典英語版 (: monolingual learner's dictionary) をさすことが多い。学習者向け英英辞典は語釈(語の定義)に用いる単語を易しいものに制限したり、語法やコロケーションの記述に重点を置くなど、英語を母語としない外国人でも理解しやすいように工夫されている。研究社の新英英辞典のような日本で作られたものも一部存在するが、それは英英辞典の主流ではなく、大部分は欧米で制作されている商品に日本で外箱や付録の小冊子を付けただけのものである。

歴史編集

イギリスの英語辞典編集

最も初期の英語辞典は、フランス語やスペイン語、ラテン語の用語集に英語の定義を添えたものであった。 「dictionary」という言葉は、1220年にジョン・オブ・ガーランドと呼ばれたイギリス人によって考案された。彼はラテン語の「diction」という言葉をもとにして「Dictionarius」という本を書いた。[1][19] その後、8000語の英単語をアルファベット順にしないで並べただけの一覧である「Elementarie」が出版された。これは1582年、リチャードマルカスターによって作成された。[2][20] [3][21]


アルファベット順に並んだ純粋な英語辞典の最初のものは、英語学校の教師であった RobertCawdrey によって 1604年に書かれたA Table Alphabeticall である。現存する唯一のコピーは、オックスフォード大学のボドリアン図書館で発見された。この辞典やこれを模倣した多数の辞典は、信頼性が低く、しっかりとした内容と言えるようなものではなかった。チェスターフィールド第四世伯爵であるフィリップ・スタンホープでさえ、カウドリーが出版した150年後の1754年に、「これまで我が国の言語の基準がなかったのは、我々にとって一種の恥であり、今ある辞典は隣人のオランダ人やドイツ人たちが単語集と呼ぶくらいの中味と変わらない。本当に意味で辞典と呼べるような品質を備えていない。」といって嘆いたようである。[4][22]


1616年、John Bullokar は「English Expositor」という自著で辞典の歴史について論じた。1656年、Thomas Blount が出版した「Glossographia」という書物には、10,000を超す単語が含まれていて、語源や歴史の説明も併せて行っている。1658年、Edward Phillips は、先述の Blount の作品を大胆に盗用して「英単語の新しい世界:または一般的な辞書」という別の見出しを付けた辞典を作成したので、2人は互いに批判し合った。これによって、世間の人々の辞典に対する関心が高まった。ジョン・ウィルキンスが 1668年に出した哲学的言語に関する随筆には、ウィリアム・ロイドが慎重に取捨選択し編集した 11,500 語の一覧を含んでいる。[5][23] 1676年、エリーシャ・コールズは「英語辞典」を書いて出版した。


サミュエル・ジョンソンが、より信頼性の高い英語辞典(1755 年刊行)を作成したというのは正しくない。今日では多くの人々が、ジョンソンが史上初の英語辞典を作ったと誤って信じているが、これもその迷信を表している。[6][24] この時点でまでには、辞典はほとんどの単語で原文どおりに参照できるように進化し、分野別の索引でなくアルファベット順に配置された。(以前はそれが人気のあった編集形式で、例えばすべての動物を一括して扱うなど。)ジョンソンの辞典が傑作とされるのは、これらすべての要素をまとめて最初の「現代的な」辞典を編纂したことにあると判断することができるからである。[2][24]


ジョンソンが作った辞典は、オックスフォード大学出版局が1884年以降、分冊でオックスフォード英語辞典を作成し、発行し始めるまでのあいだ、じつに 150年以上にわたって英語辞典の標準的な存在であり続けた。オックスフォード大学出版局がこの巨大な作業を完了するには50年近くの歳月を要し、ようやく 1928年に最終的な完成版なる OED を 12巻で発行した。この辞典は今日においても最も包括的で信頼できる英語辞典とされ、3か月ごとに専任チームによって改訂と更新が追加される。この現代的な辞典の主たる寄稿者の 1 人は、元軍医のウィリアム・チェスター・マイナーであった。しかし彼は殺人罪で有罪判決を受け、正気でないことを理由に亡命した。[25]

アメリカ英語辞典編集

1806年、アメリカのノア・ウェブスターは包括的な英語辞典を出版した。これは彼が作った辞書のうちで最初のものである。1807年、Websterは、さらに発展し完全に網羅的な辞典とするべく、アメリカ英語辞典の編集を開始した。この作業が完了するまでには 27年も費やした。ウェブスターは単語の語源を吟味するために、古英語(Anglo-Saxon)、ドイツ語、ギリシャ語、ラテン語、イタリア語、スペイン語、フランス語、ヘブライ語、アラビア語、サンスクリット語を含む 26 もの言語を学習した。


ウェブスターは、フランスのパリやケンブリッジ大学での勉学で海外に滞在していた時の 1825年、自分の辞典を完成させた。彼作った辞典には 7 万語が含まれており、そのうちの 1 万 2 千語はこれまでに出版された辞典にさえ載っていない単語であった。彼は綴り字法の編纂家の立場として、英語の綴り方の規則が不必要なまでに複雑であると考えていたので、彼の作った辞書には後世のアメリカ英語になった綴り方を導入した。たとえば、「colour」を「color」に置き換えたり、「waggon」を「wagon」に置き換え、あるいは「centre」の代わりに「center」に変えた。彼はまた、「スカンク」や「スカッシュ」など、英国の辞書には載っていないようなアメリカの単語を追加した。ウェブスター自身が 70歳になった 1828年に辞典を出版し、そのとき 2500部売ることができた。 1840年になって、第2版が二分冊で出版された。ウェブスターの辞典の権利は、本人が亡くなくなると、1843年に G&C Merriam 社が買い取り、それ以来、多くの改訂版を発行している。1964年、ブリタニカ百科事典は Merriam-Webster 社を買収した。


1961年、ウェブスター国際版の第三版が刊行された。しかしその新しい版では用例が欠如していたので、そのことをめぐって論争が起きた。その論争がきっかけとなって、1969年にアメリカン・ヘリテージ英語辞典 (AHD) が出版された。AHD はコーパスに基づく言語学の成果を初めて利用した英語辞典である。

主な母語話者向け英英辞典編集

主な学習者向け英英辞典編集

関連項目編集

脚注編集

  1. ^ Mark Forsyth 『The etymologicon』Icon Books Ltd. London N79DP、2011年、p. 128頁。 
  2. ^ a b British Library”. www.bl.uk. 2022年7月26日閲覧。
  3. ^ A brief history of English lexicography”. web.archive.org (2008年3月9日). 2022年7月26日閲覧。
  4. ^ Lynch, "How Johnson's Dictionary Became the First Dictionary"”. jacklynch.net. 2022年7月26日閲覧。
  5. ^ Considine, John (2008-03-27) (英語). Dictionaries in Early Modern Europe: Lexicography and the Making of Heritage. Cambridge University Press. ISBN 978-1-139-47105-3. https://books.google.co.jp/books?id=cqBkQFiTbX4C&pg=PA298&redir_esc=y 
  6. ^ firstdict”. 2016年5月16日閲覧。
  7. ^ CambridgeLearner's Dictionary”. Cambridge University Press. 2022年7月26日閲覧。