范承祖
范承祖(朝鮮語: 범승조)は、中国元の文官であり、朝鮮氏族の錦城范氏の始祖である。
范承祖 | |
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各種表記 | |
ハングル: | 범승조 |
漢字: | 范承祖 |
中国琅邪郡出身。元で礼部侍郎を歴任し、1274年に高麗忠烈王に降嫁された荘穆王后の師父として高麗に入国した。
范承祖は、北宋の程頤の『四書集註』『百家礼説』など多くの文献を高麗にもたらし、学問を普及させた。
范承祖の息子の范有雎は、高麗で門下侍郎を任命し、1334年に指揮使として女真討伐に功を挙げ、一等功臣を叙勲、錦城君に封ぜられた。
参考文献
編集- “범씨(范氏) 본관(本貫) 금성(錦城)입니다.”. 한국족보출판사. オリジナルの2022年9月19日時点におけるアーカイブ。
- 金光林 (2014年). “A Comparison of the Korean and Japanese Approaches to Foreign Family Names” (英語) (PDF). Journal of cultural interaction in East Asia (東アジア文化交渉学会): p. 21. オリジナルの2016年3月27日時点におけるアーカイブ。