荒尾 甫就(あらお ひろなり)は、江戸時代中期の鳥取藩家老。倉吉荒尾家5代。

 
荒尾甫就
時代 江戸時代
生誕 宝永5年(1708年
死没 明和4年9月2日1767年9月24日
改名 求馬(幼名)→甫就
別名 佐兵衛、和泉、典厩、内匠(通称)
主君 池田吉泰宗泰
鳥取藩家老
氏族 荒尾氏
父母 父:永井尚附、養父:荒尾勝就
兄弟 高力清弥永井尚尹甫就
正室:荒尾氏
養子:斯就
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生涯編集

宝永5年(1708年)、旗本永井尚附の三男として江戸に生まれる。享保17年(1732年)11月、倉吉荒尾分家、荒尾仙就の養子となり遺跡を相続する。同年12月、藩主池田吉泰に初めて拝謁する。

享保20年(1735年)閏3月、御職家老(執政家老)となる。同年11月、本家勝就の死去により、その家督を相続する。元文元年(1736年)5月、江戸にて御勝手御根取作廻に任じられる。12月、御職を辞職する。

寛保元年(1741年)2月、菩提寺の景福寺住職選定問題で閉門処分を受ける。景福寺住職選定は、先代住職の遺言をもって、当山開基の荒尾家が定める慣例であったが、先代住職・愚中の遺言を無視して、先々代萬林の弟子萬国と定めたことから、憤った愚中の弟子や仕えていた僧侶達が幕府に訴えた。同年6月、処分が解かれるも、再三にわたり隠居を願出て、寛保2年(1742年)2月、重病を理由として隠居が認められる。同年3月、分家の斯就が家督を相続する。甫就は通称を和泉から典厩に改め、さらに4月に内匠と改めた。

明和4年(1767年)9月2日、江戸で死去、享年58。

参考文献編集

  • 「倉吉市史」
  • 「因府年表巻5」

関連項目編集