荒川 久壽男(あらかわ くすお、1918年大正7年〉6月11日 - 1986年昭和61年〉12月31日)は、日本歴史学者。元皇學館大学教授

荒川 久壽男
人物情報
生誕 (1918-06-11) 1918年6月11日
日本の旗 日本茨城県
死没 1986年12月31日(1986-12-31)(68歳没)
出身校 東京帝国大学
学問
研究分野 歴史学(日本近世史・日本思想史)
研究機関 皇學館大学
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経歴

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大正7年(1918年)6月、茨城県に生まれる。茨城県立下妻中学校(現在の茨城県立下妻第一高等学校)、水戸高等学校を経て、昭和16年(1941年)3月に東京帝国大学文学部国史学科を卒業する。直ちに同大学の副手となる。1942年1月、海軍教授となり、土浦市地域と三重県内の海軍航空隊で教鞭をとった。

戦後1947年(昭和22年)4月より茨城県日立市立中学校(現在の茨城県立日立工業高等学校教諭、1948年7月より茨城県立水海道第一高等学校教諭、1958年4月より茨城県立水戸第二高等学校教諭、1964年4月より皇學館大学助教授、1968年より同大学教授にそれぞれ就任した。

専門は日本近世史(新井白石研究・水戸学専門)・日本近代思想史で、東京帝国大学在学中より水戸学の研究に従事した。また、1980年6月には、家永教科書裁判の国側証人として意見陳述を行った。

晩年、腹膜・結腸のため片眼を失明したのちは、研究論文の執筆に全力を傾注し、『水戸史学の現代的意義』『新井白石の学問思想の研究』『明治の精神』を著した。没後の1987年1月、正六位勲四等瑞宝章に叙される。

著書

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  • 『宇内の大理』 四海書房 1944年4月
  • 『歴史の窓』 茨城県教師会 1964年2月
  • 『維新前夜』 日本教文社 1965年6月
  • 『要約近世日本国民史2 豊臣時代』 時事通信社 1967年
  • 『要約近世日本国民史8 明治天皇時代2』 時事通信社 1967年
  • 『維新の群像』 日本教文社 1970年
  • 『近代日本思想史研究』 皇學館大学出版部 1975年4月
  • 『水戸史学の現代的意義』 水戸史学会 1987年2月
  • 『新井白石の学問思想の研究』 皇學館大学出版部 1987年3月
  • 『明治の精神』 皇學館大学出版部 1987年7月

参考文献

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  • 田中卓「荒川久壽男教授 弔辞」『歴史と伝統』皇學館大学出版部 1988年6月 初出『全学一体』60 1987年3月
  • 「故荒川久壽男教授略歴及び研究業績」 『皇學館大学紀要』26 1988年1月

関連項目

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脚注

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