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荒磯部屋(あらいそべや)は、昭和中期の大日本相撲協会と平成期の日本相撲協会に存在していた相撲部屋

目次

沿革編集

伊勢ヶ濱系編集

第38代横綱照國萬藏1953年(昭和28年)1月場所限りで引退して年寄・荒磯となり、師匠伊勢ヶ濱(元関脇・清瀬川)から部屋と弟子を引き取り、実質的に伊勢ヶ濱部屋を継承する形で荒磯部屋を創設した。

1961年(昭和36年)に伊勢ヶ濱が停年退職したことより名跡を継承し、自らの部屋を伊勢ヶ濱部屋と改称した(この荒磯部屋に関しては、伊勢ヶ濱部屋の項目を参照)。

二所ノ関系編集

その後、荒磯の名跡は花籠部屋関脇を務めた大豪(後に二子山部屋付き年寄)から小結二子岳武に継承され、1993年(平成5年)に師匠である10代二子山(初代若乃花)が停年退職したことを機に、同年5月27日、二子山部屋から独立して部屋を創設した。しかし関取を出すことはなく、親方自身の停年を11月に控えた2008年(平成20年)9月場所をもって部屋を閉じた。その当時の所属力士3人のうち2人は引退、残る1人(その後幕内に昇進した荒鷲)は花籠部屋(4年後の2012年に峰崎部屋に合併)に、親方と呼出は松ヶ根部屋に転属した。この荒磯部屋は、東京都国立市に置かれ、現時点で多摩地区に所在した唯一の相撲部屋でもあった。

「荒磯」の名跡は、その後田子ノ浦部屋の横綱・稀勢の里が所有し、何人かの借株襲名をへて、2019年初場所中に稀勢の里が引退した際に田子ノ浦部屋付き親方として正式に襲名した。

師匠編集