華州 (陝西省)
魏晋南北朝時代編集
526年(孝昌2年)、北魏により設置された東雍州を前身とする[1]。554年(廃帝3年)、西魏により東雍州は華州と改称された[2]。
隋代編集
唐代編集
618年(武徳元年)、唐により京兆郡鄭県・華陰県に華州が再設置された。742年(天宝元年)、華州は華陰郡と改称された。758年(乾元元年)、華陰郡は華州の称にもどされた。華州は関内道に属し、鄭・華陰・下邽の3県を管轄した[3]。
宋代編集
宋のとき、華州は永興軍路に属し、鄭・華陰・下邽・蒲城・渭南の5県を管轄した[4]。
金のとき、華州は京兆府路に属し、鄭・華陰・下邽・蒲城・渭南の5県と赤水・関西・敷水・素化・新市・荊姚の6鎮を管轄した[5]。
元代編集
明代以降編集
明のとき、華州は西安府に属し、華陰・蒲城の2県を管轄した[7]。