蒔田 広光(まいた ひろみつ、1533年(天文2年) - 1595年4月3日(文禄4年2月24日))は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将(大名)。官位は従五位下、相模守。
はじめ織田信長、次いで豊臣秀吉に仕えた。所領は1万石であったが、後に4万石に加増されている。1588年、後陽成天皇の聚楽第行幸で功を挙げている。1595年2月24日、63歳で死去し、後を子の広定が継いだ。法号は宗古。
この項目は、日本の歴史に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:日本/P:歴史/P:歴史学/PJ日本史)。