蒲察 叉察(ほさつ ささつ、? - 1161年?)は、の廃帝海陵王の姪で、その妃嬪。

生涯編集

母は慶宜公主(海陵王の異母姉)、父は蒲察阿虎迭(蒲魯虎の息子の阿虎迭とは別人)。

最初の夫は金宗室の特裏(完顔秉徳の弟)であった。天徳2年(1150年)、秉徳の失脚後、海陵王は叉察を奪取しようとした。皇太后(生母の大氏、あるいは嫡母の徒単氏)は海陵王に諫言し、叉察を皇族の乙刺補と再嫁させた。しかし海陵王は乙刺補を脅しつけ、結局、叉察を後宮に入れた。

叉察は皇族の守誠と密通し、海陵王は守誠を誅殺した。嫡母の徒単氏[1]は梧桐(海陵王の同母弟の完顔兗)に頼んで叉察のため嘆願し、叉察は赦免された。しかし家奴は海陵王に、叉察が海陵王の悪口を言っていたと密告した。海陵王は「守誠のためお前は俺を悪罵したか」と言い、叉察を誅殺した。

出典編集

  • 金史』 巻63 列伝第1 后妃上
  • 『金史』海陵王本紀

脚注編集

  1. ^ 当時、大氏はすでに故人であった。