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蔦ヶ嶽城(つたがたけじょう)は、福岡県宗像市遠賀郡岡垣町との境にある日本の城跡。宗像氏の居城。別名・蔦ヶ岳城、赤間山城、岳山城。

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蔦ヶ嶽城
福岡県
蔦ヶ嶽城がある城山
蔦ヶ嶽城がある城山
別名 蔦ヶ岳城、赤間山城、岳山城
城郭構造 山城
築城主 不明(宗像妙忠?)
築城年 不明(11世紀?)
主な改修者 宗像氏俊、宗像氏貞
主な城主 宗像氏俊、宗像氏貞
廃城年 1588年(天正16年)
遺構 曲輪
指定文化財 未指定
再建造物 なし
位置 北緯33度49分07.1秒
東経130度35分25.8秒
地図
蔦ヶ嶽城の位置(福岡県内)
蔦ヶ嶽城
蔦ヶ嶽城

概要編集

標高369.3メートルの城山山頂にある。

築城年は不明だが、11世紀代の第6代・宗像大宮司宗像妙忠が築城したと伝わる[1]。第54代宗像大宮司宗像氏俊、第79代宗像大宮司宗像氏貞が改修を行う[2]。氏貞の改修は大規模なもので、尾根を削平し多数の曲輪を造成。曲輪群は南北800メートル以上、東西1キロメートル以上に及び福岡県内では屈指の大城郭である。曲輪の斜面には高石垣は無いものの切岸になっており、その下方には畝条竪堀としては北部九州最多クラスの170条の竪堀が設けられ、堀切と共に、尾根伝いに侵攻することが困難な構造になっていた。

戦国末期に宗像氏貞による大改修と共に岳山の城と名付けられ戦国大名宗像氏の居城となったが、1588年(天正16年)に九州征伐の帰途に立ち寄った豊臣秀吉の命により廃城となった。この時に櫓や石垣を破却したとされる占部貞保の記録が残っている。現在目立つ痕跡は、本丸跡北側斜面に水穴と南側にわずかに野良積みの石塁が残るのみであるが、土塁、堀切、竪堀の痕跡は残っており、山頂付近では登山に苦労する者も見られる。

尚、二の丸跡に残る石垣は、1939年(昭和14年)に建設された青少年修養道場「城山閣」のものであり、宗像氏の城とは直接の関係は無い。

歴史編集

脚注編集

  1. ^ 廣崎 1995
  2. ^ 「蔦ヶ嶽城跡」岡垣町公式HP

参考文献編集

廣崎篤夫 1995『福岡県の城』海鳥社

関連項目編集