蕭 暠(しょう こう、468年 - 491年)は、南朝斉皇族。安成恭王。宣曜。高帝蕭道成の六男。

経歴 編集

蕭道成と任太妃のあいだの子として生まれた。建元元年(479年)、斉が建国されると、安成王に封じられた。建元2年(480年)、冠軍将軍の号を受け、石頭城に駐屯して軍事を預かった。建元4年(482年)、使持節・都督江州豫州之晋熙諸軍事・南中郎将・江州刺史として出向した。永明元年(483年)、征虜将軍に進んだ。永明2年(484年)、左衛将軍となった。まもなく侍中に転じ、歩兵校尉を兼ねた。中書令となった。永明5年(487年)、祠部尚書に転じ、驍騎将軍を兼ねた。永明6年(488年)、南徐州刺史として出向した。永明9年(491年)、散騎常侍に転じ、秘書監となり、領石頭戍事を兼ねた。この年の夏、病のために死去した。享年は24。撫軍将軍の位を追贈された。

伝記資料 編集