蕭 崇之(しょう すうし、生年不詳 - 486年)は、南朝斉の官僚。字は茂敬。
蕭道賜の三男として生まれた。官は冠軍将軍・東陽郡太守に上り、有能で統治は厳しかった。永明4年(486年)、唐寓之が反乱を起こし、反乱の別働隊が東陽郡を陥落させると、崇之は殺害された。梁の天監初年に忠簡侯と追諡された。