蕭得里特(しょう とくりとく、生没年不詳)は、(契丹)の軍人。遙輦洼可汗宮の出身。

経歴

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清寧末年、耶律乙辛に仕え、取り立てられて北面林牙・同知北院宣徽使事に累進した。太康3年(1077年)、皇太子耶律濬が廃位されると、得里特が上京臨潢府に護送した。得里特は太子を急き立て、下車を許さず、起居飲食のたびに侮辱を加え、到着すると円塀を築いて幽閉した。西南路招討使に転じ、順義軍節度使を経て、国舅詳穏となった。

寿昌5年(1099年)、不穏な恨みを抱いたことが罪に問われたが、老年のため死罪を許され、一族ともに興聖宮に配属された。西北統軍司に左遷されて、後に死去した。

  • 蕭得末(乾統年間に処刑された)
  • 蕭訛里(乾統年間に処刑された)

伝記資料

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  • 遼史』巻111 列伝第41 姦臣下