蕭海瓈

遼(契丹)の政治家

蕭海瓈(しょう かいれい、918年 - 967年)は、契丹)の政治家は寅的哂。

経歴編集

本部令穏の蕭塔列の子として生まれた。容貌魁偉で膂力にすぐれた。天禄年間、明王耶律安端の娘の藹因翁主を妻に迎えた。天禄5年(951年)、耶律安端の子の耶律察割世宗を殺害すると、藹因翁主が罪に連座したため、海瓈は後妻として太宗の次女の嘲瑰翁主を迎えた。穆宗の姻戚として信任され、応暦5年(955年)に北府宰相に任じられ、総知軍国事をつとめた。

当時、諸王の反乱に連座する者が多く出たが、海瓈は実直な調査をおこない、冤罪を出すことがないことで知られた。北漢劉鈞は遼に使者を派遣して朝貢するたびに、必ず別の贈り物を海瓈のもとに届けてきた。応暦17年(967年)5月、死去した。享年50。

子に蕭図玉があった。

伝記資料編集