藤井 典明(ふじい のりあき[1]1915年(大正4年)11月26日[1] - 1994年(平成6年)11月17日[1])は、日本声楽家バリトン、一部にテノール[2]となっているものも存在する)、合唱指揮者音楽教育者。名前の読みをテンメイとしている資料もある[3]

ふじい のりあき
(ふじい てんめい)
藤井 典明
生誕 (1915-11-26) 1915年11月26日
出身地 日本の旗 日本 広島県
死没 (1994-11-17) 1994年11月17日(78歳没)
日本の旗 日本
学歴 東京音楽学校
ジャンル クラシック音楽
職業 声楽家バリトンテノール
音楽教育者
合唱指揮者

経歴 編集

広島県出身。1940年(昭和15年)東京音楽学校[4]卒、1942年(昭和17年)東京音楽学校[4]研究科修了[1]

1940年(昭和15年)読売新人演奏会でデビュー。オペラでは、藤原歌劇団を中心に、バリトン歌手として出演するとともに、1947年(昭和22年) - 1955年(昭和30年)藤原歌劇団合唱部の指導にあたった。オペラの公演に関わった記録は66回に及ぶ[5]

音楽教育面では、1940年(昭和15年)東京音楽学校[4]教師。1944年(昭和19年)共立女子専門学校[6]講師。1947年(昭和22年)フェリス女学院(当時の校名は「横浜山手女学院」と変えられていたが、1950年(昭和25年)に「フェリス女学院」に戻される)専門学校音楽科創設と共に声楽講師となる。生徒はたったの7名であったが、当時の講師陣は、1941年(昭和16年)に着任していた三宅洋一郎のほか、新たに藤井、作曲家團伊玖磨音楽評論家寺西春雄ピアニスト大島正泰が名を連ねていた[7]。1957年(昭和32年)山形大学助教授、1967年(昭和42年) - 1979年(昭和54年)東京学芸大学教授を歴任[1]

また、CBC(中部日本放送)合唱団、ビクターなどの合唱団指揮をつとめた[1]

1994年(平成6年)11月17日死去。78歳没。死去時、木下記念歌曲研究会会員[1]

主なディスコグラフィー 編集

下記以外にもSPレコードの音源が大量に(2020年4月1日時点で95件)存在する[8]。なお、交声曲海道東征』上演記録(信時裕子編)においては、演奏会では大半がバリトンであるが、テノール、指揮が混在している。レコードではテノールを担当している[9]

脚注・出典 編集

  1. ^ a b c d e f g 藤井 典明”. コトバンク 新撰 芸能人物事典 明治~平成. 2020年4月1日閲覧。
  2. ^ a b 信時潔:交声曲《海道東征》(字幕なし全曲版)”. YouTube. 2020年4月1日閲覧。
  3. ^ 日本のオーケストラ”. CiNii. 2020年4月1日閲覧。
  4. ^ a b c コトバンクでは「東京音楽大学」となっているが、1940年時点では東京音楽大学が存在していないことから誤りと思われ、「東京音楽学校」と記す。
  5. ^ 藤井典明”. 昭和音楽大学オペラ情報センター. 2020年4月1日閲覧。
  6. ^ コトバンクでは「共立女子大学」となっているが、同大学は1949年設立であるため、1944年当時の名称である「共立女子専門学校」と記した。
  7. ^ フェリスの音楽教育”. 学校法人フェリス女学院. 2020年4月1日閲覧。
  8. ^ 藤井典明”. 国立国会図書館 歴史的音源. 2020年4月1日閲覧。
  9. ^ 信時潔研究ガイド”. 信時裕子. 2020年4月1日閲覧。