藤原 乙刀自(ふじわら の おととじ、生没年不明 )は、奈良時代後期の女官朝臣位階従四位下

記録

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淳仁朝天平宝字7年(763年)に、広川女王藤原今児藤原人数らとともに無位から従五位下に叙せられている。その後、正五位下に昇進し、称徳朝天平神護元年(765年)、藤原仲麻呂の乱の論功行賞で、女帝の乳母の一人である竹乙女とともに従四位下に昇叙されている。

官歴

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続日本紀』による。

脚注

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参考文献

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