藤原公通

平安時代後期の公卿・歌人。藤原北家閑院流。正二位・権大納言。西園寺家2代

藤原 公通(ふじわら の きんみち)は、平安時代後期の公卿歌人藤原北家閑院流権中納言藤原通季の子。官位正二位権大納言西園寺家2代とされる。閑院按察使と号す。藤大納言とも呼ばれた。

 
藤原 公通
時代 平安時代後期
生誕 永久5年(1117年
死没 承安3年9月9日[1]1173年10月17日)、または4月9日[2]5月22日
別名 閑院按察使、藤大納言
官位 正二位権大納言按察使
主君 鳥羽天皇崇徳天皇近衛天皇後白河天皇二条天皇
氏族 藤原北家閑院流
父母 父:藤原通季、母:藤原忠教の娘
兄弟 公通公重、公延、藤原経定室、
藤原経定室、廊御方
藤原通基の娘
実宗実明、公性、藤原清通
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経歴

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以下、『公卿補任』と『尊卑分脈』の内容に従って記述する。

早くに父を亡くしたため、若い頃の昇進が遅かったことがわかる。

逸話

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子・実宗藤原師長の弟子として琵琶の秘曲伝授に深く関わったことが記録[3]に見えるが、公通も琵琶の伝承に関わった可能性がある[4]

『千載和歌集』初出歌人

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公通は『千載和歌集』に作者名「按察使公通」として次の歌が選ばれている。勅撰和歌集初出である。

第三巻、夏歌 148番
仁和寺の親王のもとにて、郭公の歌五首よみ侍りける時よめる

  • ほととぎす待つはひさしき夏の夜を寝ぬに明けぬとたれかいひけむ

なお、同じ夏歌の部に郭公を題材にした徳大寺実定の有名な歌も作者名「右大臣」として選ばれている[5]

系譜

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脚注

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  1. ^ 公卿補任
  2. ^ 玉葉』『一代要記
  3. ^ 『圖書寮叢刊 伏見宮楽書集成一』所収、諸文書。ならびに『文机談』.。
  4. ^ 『文机談』
  5. ^ 『千載和歌集』所収、第161番。

参考文献

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