藤原 勝臣(ふじわら の かちおん)は、平安時代前期の官人歌人藤原北家大和守藤原長岡の孫。越後介・藤原発生の子。官職阿波権掾

 
藤原勝臣
時代 平安時代前期
生誕 不詳
死没 不詳
官位 阿波権掾
主君 陽成天皇
氏族 藤原北家
父母 父:藤原発生
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経歴 編集

元慶7年(883年)正月に阿波権掾に任ぜられた記録がある程度で[1]、官歴は詳らかではない[2]。『尊卑分脈』に従五位下越後介に叙任されたとの記載があるが、父・発生の官位を誤って勝臣の場所に記載したものとされる。

古今和歌集』に3首が入首する勅撰歌人で[3]、採録されている和歌の詞書によると[4]貞観年間(859-877)から寛平(889-898)年間に作歌活動を行っていた事が窺われる。

脚注 編集

  1. ^ 『古今和歌集目録』
  2. ^ 五位に叙せられたとする文献もある(『古今和歌集目録』)
  3. ^ 『勅撰作者部類』
  4. ^ 『古今和歌集』255,999

出典 編集