藤原 宜(ふじわら の よろし)は、平安時代初期から前期にかけての貴族官位従五位下治部大輔

 
藤原宜
時代 平安時代初期 - 前期
生誕 不明
死没 不明
官位 従五位下治部大輔
主君 文徳天皇清和天皇
氏族 藤原氏
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経歴

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仁寿4年(854年従五位下叙爵し、阿波介に任ぜられる。文徳朝末の天安2年(858年勘解由次官に遷る。

清和朝に入ると、天安3年(859年伊予権介貞観5年(863年)伊予権守と地方官を歴任し、貞観6年(864年)従五位上に叙せられる。貞観7年(865年斎宮権頭伊勢権守に任ぜられ伊勢国に赴任する。貞観10年(868年)斎宮寮史生・県当世が斎宮助・藤原豊本を斬殺する事件が発生するが、当事件に対する断罪内容がに整合していないことを理由に、伊勢権介・藤原広守と共に贖刑に処されている[1]

貞観12年(870年治部大輔に任ぜられ京官に復した。

官歴

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六国史』による。

脚注

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  1. ^ 『日本三代実録』貞観10年10月28日条

参考文献

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