藤原 広守(ふじわら の ひろもり)は、平安時代前期の貴族藤原京家治部少輔・藤原清敏または兵部大輔藤原雄敏の子。官位従五位下伊勢権介

 
藤原広守
時代 平安時代前期
生誕 不詳
死没 不詳
官位 従五位下伊勢権介
主君 清和天皇
氏族 藤原京家
父母 父:藤原清敏または藤原雄敏
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経歴

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天安2年(858年従五位下叙爵し、貞観2年(860年諸陵頭に任ぜられる。

その後、貞観7年(865年豊後守、貞観8年(866年伊勢権介と地方官を歴任した。伊勢権介在職中の貞観10年(868年斎宮寮史生・県当世が斎宮助・藤原豊本を斬殺する事件が発生するが、当事件に対する断罪内容がに整合していないことを理由に、伊勢権守・藤原宜と共に贖刑に処されている[1]

官歴

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六国史』による。

脚注

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  1. ^ 『日本三代実録』貞観10年10月28日条

出典

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