藤原 春岡(ふじわら の はるおか)は、平安時代初期から前期にかけての貴族藤原北家魚名流、参議藤原藤嗣の子。官位正五位下大和権守

 
藤原春岡
時代 平安時代初期 - 前期
生誕 不詳
死没 不詳
官位 正五位下大和権守
主君 仁明天皇文徳天皇清和天皇
氏族 藤原北家魚名流
父母 父:藤原藤嗣、母:不詳
兄弟 常房、高房宮房、宮作、春岡、善本、三清、上支、越岑、弥房、貞直
不詳
発生、清生、奉公
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経歴

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承和7年(840年従五位下叙爵し、翌承和8年(841年常陸介に任ぜられる。承和13年(846年宮内少輔に任ぜられると、右衛門権佐少納言と、仁明朝末から文徳朝初頭にかけて京官を歴任する。この間の嘉祥3年(850年)3月の仁明天皇の崩御に際して伊勢国固関使を務め、同年4月の文徳天皇の即位に伴って従五位上に叙せられている。

仁寿2年(852年大宰少弐に任ぜられると、越中守・大和権守と、文徳朝から清和朝にかけて地方官を歴任し、この間の貞観4年(862年)には正五位下に昇叙された。

官歴

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六国史』による。

系譜

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尊卑分脈』による。

  • 父:藤原藤嗣
  • 母:不詳
  • 妻:不詳
    • 男子:藤原発生[1]
    • 男子:藤原清生
    • 男子:藤原奉公[1]

脚注

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  1. ^ a b あるいは藤原長岡の子とする。

出典

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