藤原 正世(ふじわら の まさよ)は、平安時代初期から前期にかけての貴族藤原式家大蔵大輔藤原貞本の子。官位従五位上因幡介[1]

 
藤原正世
時代 平安時代初期 - 前期
生誕 不詳
死没 不詳
官位 従五位上因幡介
主君 仁明天皇文徳天皇清和天皇
氏族 藤原式家
父母 父:藤原貞本、母:橘島田麻呂の娘
兄弟 正世正峯
山背氏の娘
真房、興氏、真湛、興範
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経歴

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承和9年(842年従五位下刑部少輔に叙任されるが、同年9月に発生した承和の変に連座して、安芸権介に左遷される。承和14年(847年)恩赦によって入京を許され、翌承和15年(848年治部少輔に任ぜられる。嘉祥2年(849年肥後守に転じると、河内権守・河内守・常陸介仁明朝末から文徳朝にかけて地方官を務める。

のち散位を経て、貞観2年(860年)大蔵少輔に任ぜられて京官に復帰するが、翌貞観3年(861年因幡介として再び地方官に転じた。

官歴

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六国史』に基づく。

脚注

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  1. ^ a b 『尊卑分脈』

出典

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