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藤原長兼
時代 平安時代末期 - 鎌倉時代初期
生誕 不明[1]
死没 建保2年(1214年)以降
改名 頼房→長兼→覚阿(法名)
別名 三条
官位 正三位権中納言
主君 後白河上皇高倉天皇安徳天皇後鳥羽天皇土御門天皇順徳天皇
氏族 藤原北家勧修寺流
父母 父:藤原長方、母:藤原通憲
兄弟 宗隆長兼時長兼高頼房長隆、顕瑜、乗願
藤原雅長
長資長朝長嗣
則子(中院通方室)、久我通基
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藤原 長兼(ふじわら の ながかね)は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての公卿藤原北家勧修寺流藤原長方の次男。官位正三位権中納言三条と号す。日記『三長記』の著者。

経歴編集

以下、『公卿補任』と『尊卑分脈』の内容に従って記述する。

脚注編集

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  1. ^ 宗隆嘉応2年(1170年)に5歳で叙爵されている。兄と同等の処遇を受けたと考えるならば、長兼の生年は1167年以降1170年頃ではないかと推測できる。
  2. ^ 本名は頼房。従三位盛子の承安2年給による。
  3. ^ 朝観行幸時の院司の賞による。
  4. ^ 殷富門院御給による。
  5. ^ 東大寺供養の行事による。
  6. ^ この年に造東大寺長官に補されるか。
  7. ^ 息男である長資を右少弁に挙任のため。

出典編集