藤沢南岳
1842-1920, 幕末~明治時代の儒学者。藤沢東畡の長男。名は恒、字は君成、通称は恒太郎。号は醒狂、香翁など。
藤沢 南岳(ふじさわ なんがく、天保13年9月9日(1842年10月12日) - 大正9年(1920年)2月2日)は、幕末から明治期に活動した儒学者。
人物情報 | |
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生誕 |
1842年10月12日 日本香川県 |
死没 | 1920年2月2日 (77歳没) |
子供 | 藤沢元造、藤沢章二郎 |
学問 | |
研究分野 | 儒学 |
経歴
編集讃岐国生まれ。藤沢東畡の長男。名は恒、字は君成、通称は恒太郎[1]。号は醒狂、香翁など。大坂の泊園書院を父から継承し、数千人の門人を擁した。異端を排除し、主君に対する忠義を重んじた[2]。高松藩に仕え、佐幕派だった藩論を一夜で朝廷派へと変換した。戊辰戦争後、藩の保全に尽力、藩学講道館にて督学、1887年大成教会を興した。
「通天閣」や「寒霞渓」の命名者である。大阪市内の精華小学校・集英小学校・愛日小学校・桃園小学校・愛珠幼稚園・(神戸市立)好徳小学校も南岳が命名した。
家族・親族
編集著書
編集- 増補元明史略便蒙 乾・坤 (藤沢恒君成 岩佐茂平等 1872年)
- 日本袖史 外編 (岡田茂兵衛 1876年)
- 純正蒙求箋本 (岡島宝玉堂 1883年)
- 韓非子全書 (温古書屋 1884年)
- 探奇小録 (1886年)
- 弘道新説 (1888年)
- 七香斎類函 (1889年-1890年)
- 論語彙纂 (泊園書院 1892年)
- 藤沢先生講談叢録 (岡島真七 1893年)
- 皇陵巡拝道略図 (小林林之助 1898年)
- 新編林園月令 (浜本明昇堂 1900年)
- 和陶飲酒詩 (横山順 1902年)
- 論戦新詠 (青木嵩山堂 1904年)
- 中庸講義 (文海堂 1905年)
- 明倫彙典 (文海堂 1906年)
- 韻雅 (鹿田静七 1907年)
- 遊屐余痕 (松村九兵衛 1907年)
- 七輯 (泊園書院 1911年)
- 大統宝鑑 (松村文海堂 1911年)
- 七香斎文雋 (泊園書院 1914年)
- 酔世九剤 (1915年)
- 七香斎詩抄 (泊園書院 1918年)
- 発揮九範 (1919年)
- 不苟書室日録鈔 (藤沢元造 1921年)
- 飛鴻遺影 (藤沢元造 1922年)
- 大学家説 (泊園書院 1925年)
脚注
編集参考文献
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