藤田 正方(ふじた まさかた、1846年弘化3年)9月12日 -1886年(明治19年)9月9日)は明治期の医師。旧丸岡藩[1]1880年(明治13年)東京薬科大学の前身である「私立東京薬舗学校」を創設し校長に就任したが、数年後コレラに冒され40歳で急逝した [2]

来歴

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1846年弘化3年)越前国丸岡谷町(現在の福井県北部)で旧丸岡藩藩医藤田正中の長男として生まれた。祖父の藤田天洋も丸岡藩藩主侍医を務めた人物であった。幼年時代に漢学を修めた後、1863年文久2年)黒川良安の門に入り蘭学修行に励んだ。1868年(明治元年)9月[要検証]医学校に入学、イギリス人医師ウィリアム・ウィリスオランダ人医師アントニウス・ボードウィンドイツ人医師テオドール・ホフマンらに師事し西洋医薬学を学んだ後、1872年(明治5年)1月[要検証]神田松永町で医院を開業した[2]

医学校を卒業後は後身校の大学東校第一大学区医学校で後身の指導にもあたった。その後薬舗開業試験受験者の予備教育を開始、この経験をもとに「私立東京薬舗学校」を開設した[2]

脚注

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  1. ^ 東京薬科大学:大学沿革”. 東京薬科大学. 2009年10月31日閲覧。
  2. ^ a b c 「東京薬科大学九十年」 東京薬科大学九十年編集委員会編 (1970年)p19