藤谷為賢
経歴編集
冷泉家家祖・冷泉為相の別姓であった藤谷を家名として、新しく家を立てる事を許された。その後、侍従・左近衛少将・右近衛中将等を務めて、寛永9年(1632年)に従三位となり、公卿に列する。その後、民部卿、参議、踏歌節会外弁等を務めた。寛永19年(1642年)に従二位・権中納言となったが、正保2年(1645年)には職を辞した。
冷泉家家祖・冷泉為相の別姓であった藤谷を家名として、新しく家を立てる事を許された。その後、侍従・左近衛少将・右近衛中将等を務めて、寛永9年(1632年)に従三位となり、公卿に列する。その後、民部卿、参議、踏歌節会外弁等を務めた。寛永19年(1642年)に従二位・権中納言となったが、正保2年(1645年)には職を辞した。