蝦夷穴古墳

福島県須賀川市にある古墳

蝦夷穴古墳(えぞあなこふん)は、福島県須賀川市和田にある古墳。形状は円墳。福島県指定史跡に指定されている。

蝦夷穴古墳

墳丘・石室開口部
所在地 福島県須賀川市和田(字蝦夷穴)
位置 北緯37度16分56.75秒 東経140度23分53.67秒 / 北緯37.2824306度 東経140.3982417度 / 37.2824306; 140.3982417座標: 北緯37度16分56.75秒 東経140度23分53.67秒 / 北緯37.2824306度 東経140.3982417度 / 37.2824306; 140.3982417
形状 円墳
規模 直径36m
高さ4-5m
埋葬施設 横穴式石室
出土品 金銅製頭椎大刀・銅鋺・馬具ほか副葬品多数
築造時期 7世紀前半
史跡 福島県指定史跡「蝦夷穴古墳」
地図
蝦夷穴古墳の位置(福島県内)
蝦夷穴古墳
蝦夷穴古墳
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概要 編集

福島県南部、阿武隈川西岸の微高地に築造された大型円墳である。現在までに墳丘裾部は削平を受けているほか、明治期に石室内の発掘が行われている[1]

墳形は円形で、直径約36メートル・高さ4-5メートルを測る[2]。埋葬施設は切石の横穴式石室で、南南東方向に開口する。石室全長約11メートルを測る大型石室であり、東北地方では最大級の石室として注目される[2]。石室内からは、明治期の発掘において金銅製頭椎大刀・銅鋺・馬具など多数の副葬品が出土している[1]

この蝦夷穴古墳は、古墳時代終末期7世紀前半頃の築造と推定される[1][2]。石室の規模・副葬品の内容の点で、同時期としては当地方における代表的な古墳の1つとして重要視される。

古墳域は1988年昭和63年)に福島県指定史跡に指定されている[3]

遺跡歴 編集

埋葬施設 編集

 
石室俯瞰図
左から右に、羨道(前庭部)・玄門・玄室。
 
石室展開図

埋葬施設としては横穴式石室が構築されており、南南東方向に開口する。石室は玄室・玄門・羨道(または前庭部[1])から構成されるが、羨道(前庭部)の上半は失われている。石室の規模は次の通り[1]

  • 石室全長:約11メートル[2](または8メートル[4]
  • 玄室:長さ4.35メートル、幅2.1メートル(最大)、高さ2.8メートル

石室は石英安山岩質溶結凝灰岩の切石を用いた整美なものである[1]。奥壁は2段積みで、両側壁は基底石各3個の上に石材を持ち送って積むことによって構築される[1]。奥壁の1枚石、天井石の2枚には特に巨大な石が使用される点で注目される[2]

石室内からは、金銅製頭椎大刀・青銅製鋺・装身具(勾玉・管玉)・刀子・馬具(辻金具)・三輪玉・馬歯などが出土しており、現在は東京国立博物館で保管されている[4]

文化財 編集

福島県指定文化財 編集

  • 史跡
    • 蝦夷穴古墳 - 1958年(昭和33年)8月1日指定[3]

関連施設 編集

脚注 編集

  1. ^ a b c d e f g 蝦夷穴古墳(続古墳) 2002.
  2. ^ a b c d e 史跡説明板。
  3. ^ a b c 福島県 国・県指定等文化財一覧 (PDF) (福島県ホームページ)。
  4. ^ a b c 蝦夷穴古墳(平凡社) 1993.

参考文献 編集

  • 史跡説明板(須賀川市教育委員会、1989年設置)
  • 「蝦夷穴古墳」『日本歴史地名大系 7 福島県の地名』平凡社、1993年。ISBN 4582490077 
  • 川崎純徳「蝦夷穴古墳」『日本古墳大辞典東京堂出版、1989年。ISBN 4490102607 
  • 福島雅儀「蝦夷穴古墳」『続 日本古墳大辞典東京堂出版、2002年。ISBN 4490105991 

関連項目 編集

外部リンク 編集