袁 鴻祐(えん こうゆう)は、清末の政治家。樵蓀[2]

袁鴻祐
プロフィール
出生: 1841年道光21年)[1]
死去: 1912年民国元年)5月7日
中華民国の旗 中華民国新疆省
出身地: 安徽省泗州[2]
職業: 政治家
各種表記
繁体字 袁鴻祐
簡体字 袁鸿佑
拼音 Yuán Hóngyòu
ラテン字 Yüan Hung-you
注音二式 Yuán Hóngyòu
和名表記: えん こうゆう
発音転記: ユエン ホンヨウ
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事績 編集

清朝最末期の新疆巡撫袁大化の下でカシュガル道台を務めた。1912年民国元年)、袁大化は北京政府から新疆都督に任命された。しかし、イリ革命党の蜂起により省内を統制できず、同年4月、袁大化は袁鴻祐を後任の都督に推薦した。ところが袁鴻祐は、正式着任前の5月7日に哥老会の刺客により暗殺されてしまう。袁大化は、新疆提法使楊増新を代わりに推薦すると、新疆から逃亡した[3]

脚注 編集

  1. ^ 『新疆文史資料精選』第4辑、新疆人民出版社、1998年、28頁。
  2. ^ a b 銭実甫編『北洋政府職官年表』華東師範大学出版社、1991年。
  3. ^ 陳(2000)、114頁。

参考文献 編集

  • 陳寧生「楊増新」中国社会科学院近代史研究所『民国人物伝 第10巻』中華書局、2000年。ISBN 7-101-02114-X 
  • 劉寿林ほか編『民国職官年表』中華書局、1995年。ISBN 7-101-01320-1 
   中華民国北京政府
先代
袁大化
新疆都督(就任せず)
1912年4月 - 5月
次代
楊増新