西光寺 (葛飾区四つ木)
東京都葛飾区四つ木1丁目にある天台宗の寺院
西光寺(さいこうじ)は、東京都葛飾区四つ木1丁目にある天台宗の寺院。 渋江西光寺(しぶえさいこうじ)と呼ばれることもある。
天台宗 超越山 西光寺 | |
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山門 | |
所在地 | 東京都葛飾区四つ木1-25-8 |
位置 | 北緯35度44分04.0秒 東経139度50分02.5秒 / 北緯35.734444度 東経139.834028度座標: 北緯35度44分04.0秒 東経139度50分02.5秒 / 北緯35.734444度 東経139.834028度 |
山号 | 超越山[1] |
院号 | 来迎院[注釈 1] |
宗旨 | 天台宗 |
本尊 | 阿弥陀如来[1] |
創建年 | 嘉禄元年(1225年) |
開山 | 葛西清重 |
正式名 | 超越山来迎院西光寺 |
別称 | 渋江西光寺 |
札所等 | 南葛八十八ヶ所霊場33番札所 |
文化財 |
木造聖徳太子立像(葛飾区指定文化財) 葛西清重墓(東京都指定文化財) |
公式サイト | 【西光寺】|東京葛飾四ツ木に創建800年歴史ある寺院 |
法人番号 | 4011805000386 |
概要
編集当地は葛西御厨と呼ばれる周辺一体を治めていた武将、葛西清重が晩年に住んだ館の跡であるという。 本尊の阿弥陀如来立像の他、親鸞筆といわれる三方真向阿弥陀如来画像、葛西清重作といわる木造聖徳太子立像などを所蔵する。 境内には本堂、鐘楼などがある。 境内西側100mほどの葛西清重の墳墓跡と呼ばれる場所には、寛永8年(1631)建立の五輪塔1基と明治に大槻文彦らが建てた墓碑がある。 かつては墳墓上にあったと言われる清重稲荷は現在、境内に安置されている。
歴史
編集寺伝によれば、葛西清重の居館であった当地に関東教化中の親鸞が50日余り逗留し、自筆の阿弥陀如来画像を残した。この間に清重は親鸞の 弟子となり剃髪して西光房と称したという。そして館内に堂舎を建て、親鸞の滞在していた期間、雨続きだったことにちなんで『雨降山西光寺』と名付けた。 以来、浄土真宗として法灯を続けたが、永禄年間頃には、兵火[注釈 2]やいくたびかの水害でほぼ無住状態となった。
寛永年間になり、天台宗の旅僧が止宿して、由緒ある法灯の絶えることを惜しみ、村民とはかって浅草伝法院の門末の天台宗の寺として再興し、さらに相続く洪水に山号を雨降山から超越山と改めた。
アクセス
編集脚注
編集脚注
編集出典
編集- ^ a b c 新編武蔵風土記稿 渋江村.