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西岡(にしおか/にしのおか)とは、かつての山城国西部、京都盆地西部の西山丘陵から桂川右岸にかけてを指した歴史的広域地名。

概要編集

山城国葛野郡乙訓郡の一部、現在の京都市西京区向日市長岡京市の一部に相当する。

「西岡」の名は元は西山丘陵の古名に由来すると伝えられている[1]

足利尊氏がこの地を直轄地として室町幕府直轄の軍事力を編成した。これに動員された地元の土豪たちを「西岡衆」と称した。

西岡の中心部は桂川から引いた灌漑用水を引いており、その用水を管理するために11の諸郷が連合体を結成した。これを西岡十一ヵ郷と称した。ただし、桂川の流路の変化に伴って用水の供給地域も変化しており、十一ヵ郷の比定についても東寺百合文書の「桂川用水図」に登場する御庄・徳大寺・上桂・下桂・革嶋(河嶋)・下津林・寺戸・牛ヶ瀬・上久世・下久世・大藪・築山のいずれか(あるいは全て)とみられる。

応仁の乱において京都に近い西岡の地は東西両軍の攻防戦の舞台となった(西岡の戦い)。

長享元年(1487年)には西岡十一ヵ郷を中心とした西岡の村々が乙訓国一揆(西岡十一ヵ郷国一揆)が発生し、同じ山城国で発生した山城国一揆と並んで室町幕府に動揺を与えた。

脚注編集

  1. ^ 『京都大事典』「西山」項目より。

参考文献編集

  • 黒川直則「西岡十一ヵ郷」(『国史大辞典 9』(吉川弘文館、1988年) ISBN 978-4-642-00509-8
  • 佐和隆研 他『京都大事典』(淡交社、1984年) ISBN 4473008851 p.702. 「西岡」「西岡十一ヵ郷」

関連項目編集