西方寺(さいほうじ)は 長野県木曽郡木曽町福島にある浄土真宗本願寺派の寺院。山号は●●山。

西方寺
所在地 長野県木曽郡木曽町福島上ノ段5288
位置 北緯35度50分55.7秒 東経137度41分42.8秒 / 北緯35.848806度 東経137.695222度 / 35.848806; 137.695222座標: 北緯35度50分55.7秒 東経137度41分42.8秒 / 北緯35.848806度 東経137.695222度 / 35.848806; 137.695222
宗派 浄土真宗本願寺派
本尊 阿弥陀如来
創建年 貞享2年(1685年)4月
開山 順應または教西
法人番号 3100005007630
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歴史

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貞享2年(1685年)4月に順應による開山創建とされるが、教西が、開山創建という説もある。

元は八沢川畔にあったが、宝暦3年(1753年)8月17日、八沢川が満水となり本堂の下半分が流失したため北側に向かって傾いた。

9月中旬になって本堂を起こし、宝暦4年(1754年)、隣接する上田氏の土地を請うて境内地を拡げて、本堂を曳いて普請が成就した。

嘉永元年(1848年)6月6日、八沢川が洪水となり、本堂の東北隅から庫裏の建物の東北隅の半分を洪水によって攫われたため、

安政2年(1855年)11月に現在の場所に移転した。

現在の場所は元は石作駒石[1]の屋敷があった場所で、その宅址は庫裏となり、駒石の書斎の「翠山樓」は、そのまま離れ座敷となった。

明治17年(1884年)の八沢川の氾濫で、またもや庫裏が流出した。

残った「翠山樓」を移転したものが、現在の庫裏の座敷となっている。


参考文献

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  • 『木曽福島町史 第1巻 (歴史編)』 第五章 江戸時代 第十二節 神社・佛閣・社堂 六、西方寺 p839~p843 木曽福島町教育委員会 1982年
  • 『探訪 信州の古寺 禅宗』1996年 郷土出版社

脚注

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  1. ^ 江戸時代中期-後期の儒者元文5年(1740年)生まれ。代々木曾代官の山村氏に仕えた。明和3年から伊勢の南宮大湫に学んだ。のち木曾代官の山村蘇門のもとで勘定役として財政再建につとめた。木曾路で蘇門とともに詩文をよくすることで知られた。寛政8年(1796年)1月14日死去。57歳。名は貞。字(あざな)は士幹。通称は貞一郎。別号に翠山楼。著作に「翠山楼詩集」「莫逆(ばくげき)集」など。