覚快法親王
鳥羽天皇の子、平安時代の法親王
覚快法親王(かくかいほっしんのう、長承3年(1134年)- 養和元年11月16日(1181年12月23日))は、平安時代後期の天台宗の僧。父は鳥羽天皇。母は美濃局(石清水八幡宮祀官家田中勝清の実妹)。
覚快法親王 | |
---|---|
続柄 | 鳥羽天皇第七皇子 |
身位 | 法親王 |
出生 |
長承3年(1134年) |
死去 |
養和元年11月16日(1181年12月23日)(享年48) |
埋葬 | 青蓮院宮廟 |
父親 | 鳥羽天皇 |
母親 | 美濃局 |
役職 | 第56代天台座主 |
経歴
編集13歳の時比叡山に上り、行玄大僧正に師事して出家、顕教・密教を兼学した。久安6年(1150年)、権律師となり、翌久安7年(1151年)には行玄から伝法灌頂をうけ、法印に任じられた。永暦元年(1160年)、宮中において日食の祈祷を行い効験があったという。嘉応2年(1170年)、無品親王となり、治承元年(1177年)には延暦寺座主明雲が流罪となった跡を受けて座主に就任、法性寺座主も兼任した。しかし、病身のため治承4年(1180年)に職を辞し、青蓮院に隠退した。
京都府京都市西京区大原野小塩町善峯寺内に青蓮院宮廟(墓地)はある。