許 庚身(きょ こうしん、Xu Gengshen1825年 - 1893年)は、末の官僚。字は星叔、号は吉珊

許庚身

浙江省杭州府仁和県出身。天文学数学地理学に通じ、1852年挙人となって、内閣中書に入った。1862年進士となり、内閣侍読として方略館で各種の図書の編纂にあたった。その一方で軍機処にも属して、太平天国捻軍に対する作戦計画の立案に参与した。1873年に光禄寺卿となり、1879年には礼部侍郎に昇進、その後戸部侍郎と刑部侍郎を歴任した。清仏戦争が勃発すると、刑部侍郎に軍機大臣総理各国事務衙門大臣を兼任し、フランスに対して「外国を制御するのに上策はなく、籠絡することをよしとして、譲歩は避けなければならない」という態度をとった。1888年、兵部尚書に昇進。死後、太子太保と恭慎の諡号が贈られた。

先代
彭玉麟
兵部漢尚書
1888-1893
次代
孫毓汶