許男 結(きょだん けつ、生没年不詳)は、春秋時代諸侯国の君主の一人[1]。姓は、名は

許男結 姜結
20代
王朝
在位期間 紀元前481年 - 不明
姓・諱 姜結
生年 不明
没年 不明
元公

紀元前481年に許男結はの国君となった。同年、麒麟を取った(獲麟)。歴史書『春秋』の最後の文である[2][3][4]

脚注

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  1. ^ 金栄権著 (2012.07). 周代淮河上游諸侯国研究. 鄭州:河南大学出版社. pp. 107. ISBN 978-7-5649-0686-3 
  2. ^ 《春秋釋例・巻五・世祖譜》:許,姜姓,与斉同祖,堯四岳,伯夷之後也。周武王封其苗裔文叔于許,今潁川許昌是也。霊公徙葉,悼公遷夷,一名城父。又居析,一名白羽。許男斯処容城。自文叔至荘公十一世始見《春秋》。元公子結元年,獲麟之歳也,当戦国初,楚滅之。
  3. ^ 《春秋左伝正義・隠公十一年》:正義曰:与謀曰及。宣七年伝例也。伝称会于郲,謀伐許。是公与謀也。《譜》云:許,姜姓,与斉同祖,堯四岳,伯夷之後也。周武王封其苗裔文叔于許,今潁川許昌是也。霊公徙葉,悼公遷夷,一名城父。又居析,一名白羽。許男斯処容城。自文叔至荘公十一世始見《春秋》。元公子結元年,獲麟之歳也,当戦国初,楚滅之。
  4. ^ 《通志・氏族略》:自文叔至荘公十一世始見《春秋》。元公子結元年,獲麟之歳也,当戦国初,楚滅之。
許男結
の君主

不明 - 不明

先代
元公
の君主
紀元前481年 - 不明
次代
不詳