謝 晦(しゃ かい、390年 - 426年)は、中国東晋南朝宋の政治家。宣明本貫陳郡陽夏県。東晋の太保謝安の次兄謝拠の曾孫にあたる。謝瞻の弟。徐羨之傅亮檀道済らと少帝を廃位・殺害し、文帝を即位させた。

経歴編集

名門である謝家の出身であった謝晦は、東晋で頭角を現しつつあった劉裕に参軍として従い、北伐に従軍する。413年には、土断揚州豫州で行っている。

劉裕(武帝)が南朝宋を建国すると、領軍将軍・総統宿衛などに就き、徐羨之らとともに権力を握る。422年に武帝が崩御する際、少帝の後見に指名されが、424年、少帝を廃立・殺害し、文帝を即位させる。宋における重要拠点であった荊州刺史となった謝晦であったが、426年に文帝から少帝弑逆の罪を問われる。檀道済に率いられた討伐軍に対し、忌置洲で敗れ、処刑された。

伝記資料編集

  • 宋書』巻44(列伝第4)